December 30, 2016
[音楽]
どうでもいい話:「渋谷系」という言葉についての個人的なメモランダム
邦楽シーンにおいてなぜか周期的にやってくる流行の一つに「渋谷系」というなんだかモヤモヤした言葉がある。
渋谷系というのは個人的にはとてもネガティブな形容という印象があって好きじゃない。でも、音楽好きの若者、特にあの妙ちくりんな90年代をリアルタイムで体験していない世代にとっては、多分にキラキラしたポジティブな魔法があるのだろう。そういう過去を過剰に過大評価するような都市伝説を熱く語る人々は確かに存在するし、当時をたまたま知るいい歳をしたオッサンやオバサンが昔話として語るネタには都合がいい。当然、ここでこんな文章を書いている自分もそうした老人の一人で、なんだかキモイ(笑)。
で、90年代の当時、本当に「渋谷系」という言葉があったのかというと、あったのは確かで、おそらくは音楽雑誌あたりの中で使われることが多かったように思う。でも、少なくとも、音楽を発信する側にいるアーティスト/ミュージシャンや音楽制作現場にいるスタッフが、そういう呼称をポジティブな良い意味で使うことはまずなかったし、もしあったとすれば、それはどちらかというとネガティブなことを意味し、批判や揶揄、もしくは諧謔的なニュアンスしかなかったと思う。
渋谷系と同じような言葉でもはや今は全く使われなくなった言葉に「外資系」というのがあって、こちらの方は間違いなくレコード会社の現場、それも特に営業に近い場所で使われていた。当時のレコード販売の主戦場は、それまでの町の個人経営のレコード店(いわゆるパパママ店)から、大手外資チェーンのタワーレコードやHMV、ヴァージンメガストアあたりへと大きく移り変わりつつあった。
大手外資系レコードチェーン店で売れるCDの枚数は、個人経営レコード店で売れる枚数と較べて、桁が2つも3つも上回ったので、当然レコード会社の営業としてどこに力を入れて仕事をするかといえば、大手外資系レコードチェーンばかりになっていく。
しかも、売れる音源カタログも、外資系チェーン店と町の個人経営レコード店ではその傾向に大きな違いが見えるようになった。特に都市部にある外資系チェーン店では、それまであまりまとめて売れることがなかった今で言うところの「渋谷系」的な垢抜けたポップスに人気が集まりだす。一方で、町の個人商店レコード店では昔ながらの歌謡曲や演歌が依然として強かった。
その結果、レコード業界が一つの指針としてきたオリコンのチャートというのは、外資系チェーン店の売り上げを一切カウントしてなかったので、レコード会社の実際の売上傾向とオリコンチャートで上位に顔を出す楽曲が徐々に連動しなくなっていく。あまりに差が激しくなりだしレコード会社の営業サイドからもなんとかしてくれという声が大きくなり、オリコンとしては仕方なく外資系レコードチェーン店の売り上げだけで構成されたチャートを別途作ることになる。この結果、レコード会社は外資系レコード店チャートを重視しだすことになるのだけど、オリコンの発行する業界専門誌「オリジナルコンフィデンス」(書店で一般流通してない)は、主に町のレコード店経営者が買ってくれることで商売が成り立っていたので、どうしても外資系チャートを重視する姿勢を出すことは憚られたりした。そのあたりの各者の事情が微妙に噛み合わずにいたのが影響して、90年代の日本のレコード産業は不思議な感じのバランスで面白かったのかもしれない。
まさかその後になって、日本から大手外資系レコードチェーン店が絶滅するなどとは、当時予想だにできなかった話でもあるけれど……。
渋谷系に話を戻すと、なぜか当時の渋谷にはやたらとたくさんレコード店があったので、なんとなくファッションなら「原宿」という乱暴な決めつけがあったのと同じように音楽は「渋谷」みたいなノリがあって、それが地方から見ると判りやすい記号としてとらえられて、渋谷系という言葉が勝手に存在感を増していったんじゃないかと思ったりもする。
日本全国に「なんとか銀座」があったり、地方ファッションビルのブランドとして「原宿」がありがたがられたのと同じで、実際に渋谷発だったかどうかよりも、お洒落な音楽は「渋谷」というイメージ作りが受けたのかなと。少なくとも、全国で情報を売らなければならなかった雑誌などにとって「渋谷」というブランドやジャンル名は、地方の読者にアピールする上で便利だったろうと思う。
あまりに渋谷系というブランドが邦楽シーンで使われすぎた結果、椎名林檎あたりは確かデビュー時にわざわざ「新宿」というブランドを使って宣伝したりしてたのも懐かしい話。「池袋」系が無いのはおかしいからハードコア系でそう呼んで宣伝すれば売れるかもと冗談を言っていたような思い出もある。
で、渋谷系というと多くの人にとっては邦楽だけと結びついているキーワードなのだろうけれど、個人的にはカーディガンズのアルバム「Life」こそがあの時代の日本のポップスシーンの最高峰だったという確信がある。今でも「カーニバル」という曲を聴くと渋谷のレコード店をあちこち漁り歩いたりした思い出が強烈にフラッシュバックするし、とにかくラジオや街角からあの曲が嫌と言うほど流れていた。
まー、こんなことを今さら書いても誰も賛同してくれないぐらいに「渋谷系」という言葉は神格化・伝説化されてしまっていて、それがまたなんとも悔しいところではあるよね(笑)。
渋谷系というのは個人的にはとてもネガティブな形容という印象があって好きじゃない。でも、音楽好きの若者、特にあの妙ちくりんな90年代をリアルタイムで体験していない世代にとっては、多分にキラキラしたポジティブな魔法があるのだろう。そういう過去を過剰に過大評価するような都市伝説を熱く語る人々は確かに存在するし、当時をたまたま知るいい歳をしたオッサンやオバサンが昔話として語るネタには都合がいい。当然、ここでこんな文章を書いている自分もそうした老人の一人で、なんだかキモイ(笑)。
で、90年代の当時、本当に「渋谷系」という言葉があったのかというと、あったのは確かで、おそらくは音楽雑誌あたりの中で使われることが多かったように思う。でも、少なくとも、音楽を発信する側にいるアーティスト/ミュージシャンや音楽制作現場にいるスタッフが、そういう呼称をポジティブな良い意味で使うことはまずなかったし、もしあったとすれば、それはどちらかというとネガティブなことを意味し、批判や揶揄、もしくは諧謔的なニュアンスしかなかったと思う。
渋谷系と同じような言葉でもはや今は全く使われなくなった言葉に「外資系」というのがあって、こちらの方は間違いなくレコード会社の現場、それも特に営業に近い場所で使われていた。当時のレコード販売の主戦場は、それまでの町の個人経営のレコード店(いわゆるパパママ店)から、大手外資チェーンのタワーレコードやHMV、ヴァージンメガストアあたりへと大きく移り変わりつつあった。
大手外資系レコードチェーン店で売れるCDの枚数は、個人経営レコード店で売れる枚数と較べて、桁が2つも3つも上回ったので、当然レコード会社の営業としてどこに力を入れて仕事をするかといえば、大手外資系レコードチェーンばかりになっていく。
しかも、売れる音源カタログも、外資系チェーン店と町の個人経営レコード店ではその傾向に大きな違いが見えるようになった。特に都市部にある外資系チェーン店では、それまであまりまとめて売れることがなかった今で言うところの「渋谷系」的な垢抜けたポップスに人気が集まりだす。一方で、町の個人商店レコード店では昔ながらの歌謡曲や演歌が依然として強かった。
その結果、レコード業界が一つの指針としてきたオリコンのチャートというのは、外資系チェーン店の売り上げを一切カウントしてなかったので、レコード会社の実際の売上傾向とオリコンチャートで上位に顔を出す楽曲が徐々に連動しなくなっていく。あまりに差が激しくなりだしレコード会社の営業サイドからもなんとかしてくれという声が大きくなり、オリコンとしては仕方なく外資系レコードチェーン店の売り上げだけで構成されたチャートを別途作ることになる。この結果、レコード会社は外資系レコード店チャートを重視しだすことになるのだけど、オリコンの発行する業界専門誌「オリジナルコンフィデンス」(書店で一般流通してない)は、主に町のレコード店経営者が買ってくれることで商売が成り立っていたので、どうしても外資系チャートを重視する姿勢を出すことは憚られたりした。そのあたりの各者の事情が微妙に噛み合わずにいたのが影響して、90年代の日本のレコード産業は不思議な感じのバランスで面白かったのかもしれない。
まさかその後になって、日本から大手外資系レコードチェーン店が絶滅するなどとは、当時予想だにできなかった話でもあるけれど……。
渋谷系に話を戻すと、なぜか当時の渋谷にはやたらとたくさんレコード店があったので、なんとなくファッションなら「原宿」という乱暴な決めつけがあったのと同じように音楽は「渋谷」みたいなノリがあって、それが地方から見ると判りやすい記号としてとらえられて、渋谷系という言葉が勝手に存在感を増していったんじゃないかと思ったりもする。
日本全国に「なんとか銀座」があったり、地方ファッションビルのブランドとして「原宿」がありがたがられたのと同じで、実際に渋谷発だったかどうかよりも、お洒落な音楽は「渋谷」というイメージ作りが受けたのかなと。少なくとも、全国で情報を売らなければならなかった雑誌などにとって「渋谷」というブランドやジャンル名は、地方の読者にアピールする上で便利だったろうと思う。
あまりに渋谷系というブランドが邦楽シーンで使われすぎた結果、椎名林檎あたりは確かデビュー時にわざわざ「新宿」というブランドを使って宣伝したりしてたのも懐かしい話。「池袋」系が無いのはおかしいからハードコア系でそう呼んで宣伝すれば売れるかもと冗談を言っていたような思い出もある。
で、渋谷系というと多くの人にとっては邦楽だけと結びついているキーワードなのだろうけれど、個人的にはカーディガンズのアルバム「Life」こそがあの時代の日本のポップスシーンの最高峰だったという確信がある。今でも「カーニバル」という曲を聴くと渋谷のレコード店をあちこち漁り歩いたりした思い出が強烈にフラッシュバックするし、とにかくラジオや街角からあの曲が嫌と言うほど流れていた。
まー、こんなことを今さら書いても誰も賛同してくれないぐらいに「渋谷系」という言葉は神格化・伝説化されてしまっていて、それがまたなんとも悔しいところではあるよね(笑)。
渋谷系 若杉 実 シンコーミュージック 2014-09-09 90年代カルチャーを牽引した「渋谷系」はどのように生まれ、なぜ衰退したのか。アーティストや関係者の証言をもとに文化・社会的な見地で検証した1冊。(書籍紹介文より) |