July 10, 2016

津野海太郎「花森安治伝 日本の暮らしをかえた男」を読んだ

 自分がものごころついて初めて愛読した雑誌は「暮らしの手帖」だった。母親が定期購読していたおかげで家には暮らしの手帖のバックナンバーが手に取れるところに何冊もあって、最初は家族向けの童話のページみたいなところを読んでいたのだけど、そのついでの他のページも読んでみたら商品テストのコーナーがとても面白くて、以降欠かさず読むようになった。

 その雑誌が花森安治という人の手によって作られていたことを知ったのは随分後になってからで、おそらく氏が亡くなったときだと思う。で、そんな我が人生最初の愛読誌を作った人物の伝記があるということを知って手に取ってみた。

4101202818花森安治伝: 日本の暮しをかえた男(新潮文庫)
津野 海太郎
新潮社 2016-02-27

全盛期には100万部を超えた国民雑誌『暮しの手帖』。社長・大橋鎭子と共に会社を立ち上げた創刊編集長・花森安治は天才的な男だった。高校時代から発揮した斬新なデザイン術、会う人の度肝を抜く「女装」、家を一軒燃やした「商品テスト」。ひとつの雑誌が庶民の生活を変え、新しい時代をつくった。その裏には、花森のある決意が隠されていた—。66年の伝説的生涯に迫る渾身の評伝。(書籍紹介文より)

 読んで知ることが多くて驚いたけれど、花森安治は太平洋戦争中は大政翼賛会で働き、あのあまりに有名な「ぜいたくは敵だ!」という標語を作りだした張本人らしい。そして、戦後は戦争中の自分が為したことへの贖罪という意識もあって暮らしの手帖の編集活動に力を注いだという。

 暮らしの手帖という雑誌の背景にそんなことがあるなんて愛読していた当時は全く気付かなかったけれど、思い出してみれば、戦争中にどんな悲惨な食事をしていたかなんて話は暮らしの手帖を読んで知ったことだった。母親に戦争中のことをたずねて話すきっかけになったのも暮らしの手帖だったかもしれない。

 お気に入りだった「商品テスト」というのは、市場で一般に売られている製品を暮らしの手帖編集部が自らわざわざ購入して実際に使い込んで商品の性能をテストするというもので、ダメな商品はハッキリと具体的に何がダメなのかを明確に示してくれる記事だった。この商品テストのおかげで売れなくなった商品もあれば、良心的な製品を作っているのに無名のため全然売れずにいたのが突然大ヒット商品になって企業が倒産を免れたなんて逸話もあるらしい。日本の各メーカーは暮らしの手帖に取り入ろうとして画策したらしいけれど、少なくとも花森安治が生きている間はそれは適わぬことだったようだ。商品テストの記事を読んでそうした反骨心溢れる心意気を子供心に感じて育ってしまったが故に自分はDIYでパンクなダメ人間になってしまったのかもしれない(笑)。

 花森安治のエッセイ「見よぼくら一銭五厘の旗」から白眉の一節を以下に引用しておく。
民主々義の<民>は 庶民の民だ
ぼくらの暮らしを なによりも第一にする ということだ
ぼくらの暮らしと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮らしと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ

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