August 15, 2010

映画「告白」を観た

 期せずして、8月15日というある意味とても特別な日に映画「告白」を観ることになった…。

kokuhaku

 予告編は観ていたし、ネット上でいくらかのネタバレ的な話も見聞きしていたのだけれど、まさかああいう展開の映画だとは思ってもみなかったので、始まって割とすぐの時点で一つの解決があった瞬間に、「あれ? これはまた異様に短く感じる映画だったな…」と早合点してしまった(笑)。

 それにしても、究極の中二病的な世界を描いた映画だと思う。始まって直ぐの教室の混乱ぶりは、かつて自分がかろうじてサバイブすることができた「学校」というジャングルの様相を、まざまざと思い出させるものがあり、なんとも嫌な気分を味わうことにになった。

 考えてみれば、楽しい青春(?)の思い出の裏にはいつでも、できれば永久に忘れ去ってしまいたい暗い過去が隠されている訳で、そういうものがビビッドに映像化されて、さあこれでどうだという感じで突きつけられたような感じだった。

 色々と解釈のしようはあるけれど、この映画は基本的に人間の抱える性悪説的なるものを問うているのだろうなとは思う。

 観るかどうするか迷っていたときに、だめ押しでこの映画を観に行くことを薦めてくれた津田さんの言葉「観て損はないと思いますよ。俺には超後味悪い映画でしたが。」には感謝。正にその通りで、かなり後味の悪い映画ではあったけれど、こういう感情の存在を忘れてはいけないという意味で、観る意味はあったのかなと……。

 この映画で一番大きな不満は音楽の使い方だった。レディオヘッドの音楽を使う意味が全然判らなかった。出来ることならば、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のように、日本語の歌を使って、歌そのものが持つ意味性をも映画の演出の一つとして展開して欲しかった。英語の歌でなんとなく雰囲気を出すという演出は、個人的に一番嫌いなパターンで、それならいっそインスト曲だけで盛り上げてもらったほうがずっと清々しい。もし仮に、監督がレディオヘッドの楽曲そのものに、本当にものすごいこだわりがあったのであれば、歌詞の訳を字幕にして欲しかった。でも、きっとそういう感じではないのだろうなと思う。他にもいくつか英語の歌が使われていて、そこには違和感が強く残った。
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