July 28, 2009
どうでもいい話:餃子と言えば国分寺のポパイだった
ネットで検索しても、ほとんど何も見つからない昔話。ある時代のある場所のある層にしかアピールしなかったものというのは、それを知る人達の心の中だけにあって、その思い出も少しずつ忘れられていく訳で、なんだか切ない……。
この記事へのコメント
まだ東京ウォーカーもHANAKOもなかったがアングルという美味しいお店を扱った雑誌の餃子特集に国分寺ポパイは、掲載されてました。付近には、いまでも名曲喫茶田園があり斜めに曲がった道にお店がありました。国分寺には、一度きりしか行かなかったお店が多くあります。ポパイの餃子をたべる為にわざわざ国分寺行ったわけですが、
自宅の近くにあるホワイト餃子によく似ていた記憶があります。餃子の皮と中身が一緒に口にほおりこめる特徴がある一品でした。
自宅の近くにあるホワイト餃子によく似ていた記憶があります。餃子の皮と中身が一緒に口にほおりこめる特徴がある一品でした。
Posted by 放浪人 at March 17, 2015 15:06
経営者だった人と犬友です。
Posted by kjsyasuda at January 30, 2014 10:57
おきゅうと さん、コメントありがとうございます。
まさに、あのポパイの雰囲気がよく伝わる話ですね。思わずグッときてしまいました。懐かしいです……。
まさに、あのポパイの雰囲気がよく伝わる話ですね。思わずグッときてしまいました。懐かしいです……。
Posted by wms at April 24, 2010 16:08
オフィスで流れてるラジオ(J-wave)で餃子のことを話していたので、なぜか、昔(今から25年くらい前)、よく行った「餃子のポパイ」を思い出して、ググってみたら、ここに行き着きました。国分寺北口を右に曲がって、しばらくしたら斜めに入る、みたいな場所でしたね。われわれは、仲間内で、「ギョウポ」と略して呼んでいました。腹すいたなー、ギョウポでも行く?みたいなカンジです。今もどこかでやってないですかね?食べたいです。餃子焼いてた小太りのお兄ちゃんのメガネがいつも油で曇っていて、汚いジーンズにサンダル履きだったのを覚えています。貧乏学生だった当時は、ビールと餃子20個っていうのが定番でした。ふとタイムスリップしてしまいました。長々すみません。
Posted by おきゅうと at April 22, 2010 11:32
クロマティーさん、コメントありがとうございます。
残念ながら自分もポパイの餃子を越える逸品にはその後出会っていません…。いつかどこかで出会いたいものです。
残念ながら自分もポパイの餃子を越える逸品にはその後出会っていません…。いつかどこかで出会いたいものです。
Posted by wms at April 04, 2010 09:39
あのポパイの餃子の信者だった一人です。この餃子を超える餃子はありませんでした。もし、どこかで営業していたら、教えてください。
Posted by クロマティー at April 01, 2010 11:06
コメントありがとうございます。あの界隈にそんな怪談があったなんて知りませんでした…。
Posted by wms at January 24, 2010 22:31
30年前、国分寺に住む学生だった私。ポパイという名前は覚えていませんでしたが、あの餃子はよく覚えています。その頃そばの中央線脇のガードへ抜ける細い道に首が真後ろに折れる美人が出るという話が流行ってました。(懐)
Posted by ten at January 24, 2010 17:26
ネット検索したら、ここに・・・
30個以上は値段が変わらず・・・って。
18個ぐらいで私はダウン。
大きめの餃子で。
食べたあとは、
名画座で3本・・・
30個以上は値段が変わらず・・・って。
18個ぐらいで私はダウン。
大きめの餃子で。
食べたあとは、
名画座で3本・・・
Posted by ぐり at August 21, 2009 18:42