May 30, 2010
[マンガ・本]
久保ミツロウ「モテキ」を読んだ (読む人によってはネタバレと感じる可能性あり)
世間で話題になっていて何か気になるものがあったので、今さらながら一気に4巻を通して読んでみた。
元も子もない言い方をしちゃうと、ちょっとばかり都合の良いシチュエーション・ラブコメディーなんだけれど、そこにちょっとした人生の不条理さみたいなものが描かれていて、読む人によっては思い入れしてしまうのだろうなと。で、非モテな自分としては、かなり思い入れたっぷりに読んでしまった(笑)。
で、野暮を承知なツッコミどころとしては、主人公の藤本が、どんなに悲惨な過ちだったとはいえ、実はちゃんと性体験があるという設定。これはちょっとズルイというか、まぁ、そうでないと物語にしにくいのだろうな…。あとは、土井亜紀が藤本に関わる理由みたいなものがイマイチよく判らなかった。単なる気まぐれで、割と世の中ではありがちなことなのか?
作者が女性ということを考えれば、ここに登場する女性達の心の動きは、いかにデフォルメされているとはいえ、かなりリアルなのだろう。そして、それが判らないのはやはり自分が男だからというのはあるのかな……。
で、個人的には、林田尚子が一番好きだった。ま、得な役割設定ではあるよね、ああいうのは(笑)。
モテキ(1) 久保ミツロウ 講談社イブニングKC 2009/03/23 著者コメント:「モテキ」はモテる為の成功法則書では一切ありません。気をつけて!「いかに幸せが指の隙間から砂のように零れ落ちるか」を描いてます。それだけじゃ気分悪いので楽しい事いっぱい詰め込んでます。共感される方もそうじゃない方も、この本をネタに色々話すきっかけになったらいいなあと思います。 |
元も子もない言い方をしちゃうと、ちょっとばかり都合の良いシチュエーション・ラブコメディーなんだけれど、そこにちょっとした人生の不条理さみたいなものが描かれていて、読む人によっては思い入れしてしまうのだろうなと。で、非モテな自分としては、かなり思い入れたっぷりに読んでしまった(笑)。
で、野暮を承知なツッコミどころとしては、主人公の藤本が、どんなに悲惨な過ちだったとはいえ、実はちゃんと性体験があるという設定。これはちょっとズルイというか、まぁ、そうでないと物語にしにくいのだろうな…。あとは、土井亜紀が藤本に関わる理由みたいなものがイマイチよく判らなかった。単なる気まぐれで、割と世の中ではありがちなことなのか?
作者が女性ということを考えれば、ここに登場する女性達の心の動きは、いかにデフォルメされているとはいえ、かなりリアルなのだろう。そして、それが判らないのはやはり自分が男だからというのはあるのかな……。
で、個人的には、林田尚子が一番好きだった。ま、得な役割設定ではあるよね、ああいうのは(笑)。
May 28, 2010
[ガラクタ]
NHK技研公開2010に行ってきた
NHK放送技術研究所、略して「NHK技研」の一般公開イベントを見学してきた。
個人的には、ネットと連携した「ソーシャル」な取り組みに関する各種発表が印象に残った。
ソーシャルな取り組みとは、いわゆるレコメンデーションだったり、ツイッター的な機能だったりで、それらをひとまとめにして新しいプラットフォームという位置づけで「Hybrid Cast」と名付けて大々的に取り上げていた。あるデモでは、2代の27インチiMacを起用して、なぜか1台はMac OS X、もう1台はWindowsを走らせていたのが面白かった。
説明員の方とちょっと話した感じでは、IP経由での放送やサービスの提供は今すぐにでも実現可能なぐらいにには色々と具体的な実験は進んでいるのだけれど、それよりも解決が難しいのは放送法などテレビならではの「お家の事情」というニュアンスだった。
まぁ、ARIBが提唱するBMLにしても、日進月歩のネットの有り様とはとても親和性が高いとは言い難い感じだし…。
で、技研公開に行ったら必ず見学することにしているスーパーハイビジョンの大型スクリーンによるデモ上映、今回はパブリックビューイングでの利用を前提とした内容で、コンサートやスポーツの映像を見ることができた。ただ、決して映像が悪い訳ではないのだけれど、数年前に上映された趣向を凝らした演出の映像から比べると、今回は単に撮影しました的な絵ばかりでつまらなかったというのが正直なところ。スーパーハイビジョンは画面全体にピントが合った画像でないと、その凄さが判りにくいので、ああいう絵ばかりになってしまったのだろうか? 出来れば、フレーミングの妙で面白く見せてくれるような演出の映像がもう少したくさんあっても良かったような。
それから、今回のスーパーハイビジョン映像を見て益々実感したのは、映像再生がリアルでも、音の再生が中途半端だと、その良さが半減されてしまうということ。技研会場での音声再生にはBOSEのかなり凝ったシステムが導入されていたけれど、今ひとつその音に「生」っぽさが欠けるように感じた。BOSE特有の押し出しが強く迫力ある再生音は、しっかりとデフォルメして演出された3D映像にはとても向いていると思うけれど、どこまでも写実的な映像を見せてくれるスーパーハイビジョンには、もっと素通しの音が聞こえるようなハイファイオーディオ環境が必要だと思う。もし、あの映像ですごくリアルな音声なら、北島三郎その人本人が目の前で歌っていると簡単に錯覚できたことだろうに、やや残念…。
そのほかで目新しかったのは色々な3D映像システム。ただ、個人的にはイマイチというか、例えば「インテグラル立体テレビ」と言っても、実は昔からよくある立体画像のウルトラデラックス版な訳で、逆に「え? これなの?」という感じでビックリした(笑)。
で、よくありがちな立体画像というのが文章では説明が難しいので、厳密には違うのだけれど、ちょっと似た例を以下にビデオでアップしてみる:
自分が子供の頃にはこの手のギミックが結構流行ったけれど、今はあまり見ないかも。ちなみに、上記ビデオのCDは「Grandmaster Flash Presents Salsoul Jam 2000」というミックスCD。同じ特殊仕様ジュエルケースなのかどうかは不明なれど、現時点ではまだアマゾンでも入手可能なようなので気になる人はチェックしてみて。
個人的には、ネットと連携した「ソーシャル」な取り組みに関する各種発表が印象に残った。
ソーシャルな取り組みとは、いわゆるレコメンデーションだったり、ツイッター的な機能だったりで、それらをひとまとめにして新しいプラットフォームという位置づけで「Hybrid Cast」と名付けて大々的に取り上げていた。あるデモでは、2代の27インチiMacを起用して、なぜか1台はMac OS X、もう1台はWindowsを走らせていたのが面白かった。
説明員の方とちょっと話した感じでは、IP経由での放送やサービスの提供は今すぐにでも実現可能なぐらいにには色々と具体的な実験は進んでいるのだけれど、それよりも解決が難しいのは放送法などテレビならではの「お家の事情」というニュアンスだった。
まぁ、ARIBが提唱するBMLにしても、日進月歩のネットの有り様とはとても親和性が高いとは言い難い感じだし…。
で、技研公開に行ったら必ず見学することにしているスーパーハイビジョンの大型スクリーンによるデモ上映、今回はパブリックビューイングでの利用を前提とした内容で、コンサートやスポーツの映像を見ることができた。ただ、決して映像が悪い訳ではないのだけれど、数年前に上映された趣向を凝らした演出の映像から比べると、今回は単に撮影しました的な絵ばかりでつまらなかったというのが正直なところ。スーパーハイビジョンは画面全体にピントが合った画像でないと、その凄さが判りにくいので、ああいう絵ばかりになってしまったのだろうか? 出来れば、フレーミングの妙で面白く見せてくれるような演出の映像がもう少したくさんあっても良かったような。
それから、今回のスーパーハイビジョン映像を見て益々実感したのは、映像再生がリアルでも、音の再生が中途半端だと、その良さが半減されてしまうということ。技研会場での音声再生にはBOSEのかなり凝ったシステムが導入されていたけれど、今ひとつその音に「生」っぽさが欠けるように感じた。BOSE特有の押し出しが強く迫力ある再生音は、しっかりとデフォルメして演出された3D映像にはとても向いていると思うけれど、どこまでも写実的な映像を見せてくれるスーパーハイビジョンには、もっと素通しの音が聞こえるようなハイファイオーディオ環境が必要だと思う。もし、あの映像ですごくリアルな音声なら、北島三郎その人本人が目の前で歌っていると簡単に錯覚できたことだろうに、やや残念…。
そのほかで目新しかったのは色々な3D映像システム。ただ、個人的にはイマイチというか、例えば「インテグラル立体テレビ」と言っても、実は昔からよくある立体画像のウルトラデラックス版な訳で、逆に「え? これなの?」という感じでビックリした(笑)。
で、よくありがちな立体画像というのが文章では説明が難しいので、厳密には違うのだけれど、ちょっと似た例を以下にビデオでアップしてみる:
自分が子供の頃にはこの手のギミックが結構流行ったけれど、今はあまり見ないかも。ちなみに、上記ビデオのCDは「Grandmaster Flash Presents Salsoul Jam 2000」というミックスCD。同じ特殊仕様ジュエルケースなのかどうかは不明なれど、現時点ではまだアマゾンでも入手可能なようなので気になる人はチェックしてみて。
Salsoul Jam 2000 Grandmaster Flash Unidisc 2000/05/22 グランドマスターフラッシュがサルソウル音源のみでプレイしたミックスもの。 |
May 26, 2010
無線LAN経由でリモートHDD上の音楽データをPCで再生してみた(BlogPet)
wmsの「無線LAN経由でリモートHDD上の音楽データをPCで再生してみた」のまねしてかいてみるね
普段の裁量のみでCDを選択したのUSB接続してみた感じ。
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
普段の裁量のみでCDを選択したのUSB接続してみた感じ。
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
May 19, 2010
[ガラクタ]
無線LAN経由でリモートHDD上の音楽データをPCで再生してみた
普段家で使っているPCはノートタイプ(MacBook Late 2008)で内蔵HDDの容量は160GB。そのため、iTunesでCDをリップして音楽データを貯め込むとあっと言う間に容量が逼迫してしまう。
そのため、普段はリップしたデータをすぐにiPod(4.5G/30GB)へ移して、PC側のデータは削除してしまうことにしているのだけれど、それもなんだか面倒…。
解決策の一つとして、iTunesのライブラリを外部のストレージ上へ構築してしまうという方法がある。ファイル・ウェブのレビュー記事「PS3やPCオーディオをDLNAで楽しみたい! − 私的NAS導入記(前編)」がその一例。
で、うちは無線LANルータにAirMac Extremeを使っているので、USB接続の外付けHDDを無線LAN上で簡単に共有して、あたかもNASのように使える。そこで簡単な実験をしてみた。
まず、AirMac ExtremeのUSBポートに外付けHDDを接続し、PCの内蔵HDDにあるiTunesライブラリから適当な試聴用の音楽データファイルを一つ選んで、外付けHDDにコピー。次にiTunesの「環境設定」から「詳細」を開いて、「ライブラリへの追加時にファイルを“iTunes Media”フォルダにコピーする」オプションのチェックマークを外す。外付けHDDにコピーした音楽データファイルをiTunesへドロップして読み込む。これで実験準備は完了。
iTunesの楽曲リスト上に同じ曲が2つ並ぶので、どちらがどの場所にあるデータかを確認して(OS X環境ならリスト上で曲を選択して[command]+[R]すれば、Finderでデータの場所を確認できる)、交互に再生して聴き比べてみた。
う〜む………。
ここで両方の音に差異がなければそれで万々歳だったのだけれど、残念ながら、ローカル(内蔵HDD上)データとリモート(外付けHDD上)データでは再生音が微妙に違っていた。
無線LANを経由して再生するリモートデータの音は、やや高音が詰まった感じ。アンビエンス等の残響音もまびかれているような印象。まぁ、普段の生活でBGMとして利用する程度なら全く気にならない差ではあるけれど、こうやって聴き比べてそこに違いがあることを知ってしまうと、ちょっと気分的にはよろしくない…。
ということで、うちではリモートに音楽データを置いて無線LANでPCに飛ばして再生するという案はNG。手っ取り早いのはPCの内蔵HDDを容量拡張することと結論した次第。
※ちなみに、無線LAN経由だと音が悪くなると判断したのは、あくまでも個人的なオカルト趣味の故であって、この判断が一般的な社会常識の範疇からは逸脱していることにご留意ください。音が「良い/悪い」という判断に絶対的な価値は存在せず、それはすべからく個人一人一人の裁量のみで決まるものです。
そのため、普段はリップしたデータをすぐにiPod(4.5G/30GB)へ移して、PC側のデータは削除してしまうことにしているのだけれど、それもなんだか面倒…。
解決策の一つとして、iTunesのライブラリを外部のストレージ上へ構築してしまうという方法がある。ファイル・ウェブのレビュー記事「PS3やPCオーディオをDLNAで楽しみたい! − 私的NAS導入記(前編)」がその一例。
で、うちは無線LANルータにAirMac Extremeを使っているので、USB接続の外付けHDDを無線LAN上で簡単に共有して、あたかもNASのように使える。そこで簡単な実験をしてみた。
まず、AirMac ExtremeのUSBポートに外付けHDDを接続し、PCの内蔵HDDにあるiTunesライブラリから適当な試聴用の音楽データファイルを一つ選んで、外付けHDDにコピー。次にiTunesの「環境設定」から「詳細」を開いて、「ライブラリへの追加時にファイルを“iTunes Media”フォルダにコピーする」オプションのチェックマークを外す。外付けHDDにコピーした音楽データファイルをiTunesへドロップして読み込む。これで実験準備は完了。
iTunesの楽曲リスト上に同じ曲が2つ並ぶので、どちらがどの場所にあるデータかを確認して(OS X環境ならリスト上で曲を選択して[command]+[R]すれば、Finderでデータの場所を確認できる)、交互に再生して聴き比べてみた。
う〜む………。
ここで両方の音に差異がなければそれで万々歳だったのだけれど、残念ながら、ローカル(内蔵HDD上)データとリモート(外付けHDD上)データでは再生音が微妙に違っていた。
無線LANを経由して再生するリモートデータの音は、やや高音が詰まった感じ。アンビエンス等の残響音もまびかれているような印象。まぁ、普段の生活でBGMとして利用する程度なら全く気にならない差ではあるけれど、こうやって聴き比べてそこに違いがあることを知ってしまうと、ちょっと気分的にはよろしくない…。
ということで、うちではリモートに音楽データを置いて無線LANでPCに飛ばして再生するという案はNG。手っ取り早いのはPCの内蔵HDDを容量拡張することと結論した次第。
※ちなみに、無線LAN経由だと音が悪くなると判断したのは、あくまでも個人的なオカルト趣味の故であって、この判断が一般的な社会常識の範疇からは逸脱していることにご留意ください。音が「良い/悪い」という判断に絶対的な価値は存在せず、それはすべからく個人一人一人の裁量のみで決まるものです。
TVBros. 平成22年5月15日号「特集:リアルタイム・ウェブの台頭 事件はDOMMUNEで起きている 〜宇川直宏・1万字インタビュー〜」を読んだ(BlogPet)
wmsの「TVBros. 平成22年5月15日号「特集:リアルタイム・ウェブの台頭 事件はDOMMUNEで起きている 〜宇川直宏・1万字インタビュー〜」を読んだ」のまねしてかいてみるね
Ustreamで格好を見て気がつかなかった子だな?
で現在最もパワーのあるライブストリーミング番組「時かけ」のを読むためになったんだけどね(笑)♪
でも、直近は「TVBrosを手にした。久しぶりに目を通してみれば、フリッパーズギターが現役だった頃とまるで変わらず、今でもテレビとは直接関係ないようなサブカルネタで溢れていて圧倒されてしまった(笑)。しかも、評のライター陣には、当時お世話になった人の名前がそのままあったりして…。ま、そんな昔を懐かしむのはさておき、宇川氏のインタビューは非常に面白かった。今、Ustreamに興味がある人であれば、たとえDOMMUNEというクラブミュージックベースの音楽番組(?)には興味がなくても読んで損はないと思う。宇川氏が語るその言葉の端々には、表現のプロとしての覚悟が滲み溢れている。DOMMUNEが、単なる映像の垂れ流しで自己満足しているような他の番組とは一線を画している理由が判る気がする。もちろん、インタビューの発言は同氏ならではの独特の演出も含まれているだろうし、どこまで真に受けるかは読む人それぞれに任されることではあるけれど。個人的にツボだったのは以下の部分:遡ってTVの時代なら、アポロ11号が月に初めて着陸した現場、湾岸戦争、日本人なら浅間山荘事件、梅川昭美の三菱銀行強盗事件とか幸か不幸か、自分はこの全てを当時リアルタイムでテレビにかじりついて見ていた経験がある。そして、この宇川氏の発言を読んだときに、あぁ、なるほど、だからUstreamというメディアは説得力があるのかと納得した。ただ同時に、そういう意図で作られたUstream番組は何かが起きるまで見続けることが要求される訳で、それは情報で氾濫した忙しい今の時代を生きる社会人にとっては辛いメディアでもあるなと感じたりもする。とりあえず、現時点でのDOMMUNEは深夜0時で放送終了することがルールとなっている。つまり、何も起きなくても終わるということ。それはある意味で潔くスリリングだ。あとは、どうでもいいんだけど、同誌で仲里依紗がコラムを書いているのを発見。この人、自分は何かの映画の上映前に流れた予告編で「純喫茶磯辺」に、テレビ雑誌「DOMMUNE」を見て大活躍だな。
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
Ustreamで格好を見て気がつかなかった子だな?
で現在最もパワーのあるライブストリーミング番組「時かけ」のを読むためになったんだけどね(笑)♪
でも、直近は「TVBrosを手にした。久しぶりに目を通してみれば、フリッパーズギターが現役だった頃とまるで変わらず、今でもテレビとは直接関係ないようなサブカルネタで溢れていて圧倒されてしまった(笑)。しかも、評のライター陣には、当時お世話になった人の名前がそのままあったりして…。ま、そんな昔を懐かしむのはさておき、宇川氏のインタビューは非常に面白かった。今、Ustreamに興味がある人であれば、たとえDOMMUNEというクラブミュージックベースの音楽番組(?)には興味がなくても読んで損はないと思う。宇川氏が語るその言葉の端々には、表現のプロとしての覚悟が滲み溢れている。DOMMUNEが、単なる映像の垂れ流しで自己満足しているような他の番組とは一線を画している理由が判る気がする。もちろん、インタビューの発言は同氏ならではの独特の演出も含まれているだろうし、どこまで真に受けるかは読む人それぞれに任されることではあるけれど。個人的にツボだったのは以下の部分:遡ってTVの時代なら、アポロ11号が月に初めて着陸した現場、湾岸戦争、日本人なら浅間山荘事件、梅川昭美の三菱銀行強盗事件とか幸か不幸か、自分はこの全てを当時リアルタイムでテレビにかじりついて見ていた経験がある。そして、この宇川氏の発言を読んだときに、あぁ、なるほど、だからUstreamというメディアは説得力があるのかと納得した。ただ同時に、そういう意図で作られたUstream番組は何かが起きるまで見続けることが要求される訳で、それは情報で氾濫した忙しい今の時代を生きる社会人にとっては辛いメディアでもあるなと感じたりもする。とりあえず、現時点でのDOMMUNEは深夜0時で放送終了することがルールとなっている。つまり、何も起きなくても終わるということ。それはある意味で潔くスリリングだ。あとは、どうでもいいんだけど、同誌で仲里依紗がコラムを書いているのを発見。この人、自分は何かの映画の上映前に流れた予告編で「純喫茶磯辺」に、テレビ雑誌「DOMMUNE」を見て大活躍だな。
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
May 17, 2010
TVBros. 平成22年5月15日号「特集:リアルタイム・ウェブの台頭 事件はDOMMUNEで起きている 〜宇川直宏・1万字インタビュー〜」を読んだ
Ustreamで現在最もパワーのあるライブストリーミング番組「DOMMUNE」を主催する宇川直宏氏のインタビューを読むために、テレビ雑誌「TVBros.」を手にした。
久しぶりに目を通してみれば、フリッパーズギターが現役だった頃とまるで変わらず、今でもテレビとは直接関係ないようなサブカルネタで溢れていて圧倒されてしまった(笑)。しかも、レコ評のライター陣には、当時お世話になった人の名前がそのままあったりして…。
ま、そんな昔を懐かしむのはさておき、宇川氏のインタビューは非常に面白かった。今、Ustreamに興味がある人であれば、たとえDOMMUNEというクラブミュージックベースの音楽番組(?)には興味がなくても読んで損はないと思う。
宇川氏が語るその言葉の端々には、表現のプロとしての覚悟が滲み溢れている。DOMMUNEが、単なる映像の垂れ流しで自己満足しているような他の番組とは一線を画している理由が判る気がする。もちろん、インタビューの発言は同氏ならではの独特の演出も含まれているだろうし、どこまで真に受けるかは読む人それぞれに任されることではあるけれど。
個人的にツボだったのは以下の部分:
幸か不幸か、自分はこの全てを当時リアルタイムでテレビにかじりついて見ていた経験がある。そして、この宇川氏の発言を読んだときに、あぁ、なるほど、だからUstreamというメディアは説得力があるのかと納得した。ただ同時に、そういう意図で作られたUstream番組は何かが起きるまで見続けることが要求される訳で、それは情報で氾濫した忙しい今の時代を生きる社会人にとっては辛いメディアでもあるなと感じたりもする。
とりあえず、現時点でのDOMMUNEは深夜0時で放送終了することがルールとなっている。つまり、何も起きなくても終わるということ。それはある意味で潔くスリリングだ。
あとは、どうでもいいんだけど、同誌で仲里依紗がコラムを書いているのを発見。この人、自分は何かの映画の上映前に流れた予告編で「純喫茶磯辺」に出ているのを見て気になったんだけど、その時は「時かけ」のアニメで声をやった子だとは全然気がつかなかった。で、直近は「ゼブラーマン」でエロイ格好をして大活躍だな。でも、映画は全然見てないんだけどね(笑)。
久しぶりに目を通してみれば、フリッパーズギターが現役だった頃とまるで変わらず、今でもテレビとは直接関係ないようなサブカルネタで溢れていて圧倒されてしまった(笑)。しかも、レコ評のライター陣には、当時お世話になった人の名前がそのままあったりして…。
ま、そんな昔を懐かしむのはさておき、宇川氏のインタビューは非常に面白かった。今、Ustreamに興味がある人であれば、たとえDOMMUNEというクラブミュージックベースの音楽番組(?)には興味がなくても読んで損はないと思う。
宇川氏が語るその言葉の端々には、表現のプロとしての覚悟が滲み溢れている。DOMMUNEが、単なる映像の垂れ流しで自己満足しているような他の番組とは一線を画している理由が判る気がする。もちろん、インタビューの発言は同氏ならではの独特の演出も含まれているだろうし、どこまで真に受けるかは読む人それぞれに任されることではあるけれど。
個人的にツボだったのは以下の部分:
遡ってTVの時代なら、アポロ11号が月に初めて着陸した現場、湾岸戦争、日本人なら浅間山荘事件、梅川昭美の三菱銀行強盗事件とか
幸か不幸か、自分はこの全てを当時リアルタイムでテレビにかじりついて見ていた経験がある。そして、この宇川氏の発言を読んだときに、あぁ、なるほど、だからUstreamというメディアは説得力があるのかと納得した。ただ同時に、そういう意図で作られたUstream番組は何かが起きるまで見続けることが要求される訳で、それは情報で氾濫した忙しい今の時代を生きる社会人にとっては辛いメディアでもあるなと感じたりもする。
とりあえず、現時点でのDOMMUNEは深夜0時で放送終了することがルールとなっている。つまり、何も起きなくても終わるということ。それはある意味で潔くスリリングだ。
あとは、どうでもいいんだけど、同誌で仲里依紗がコラムを書いているのを発見。この人、自分は何かの映画の上映前に流れた予告編で「純喫茶磯辺」に出ているのを見て気になったんだけど、その時は「時かけ」のアニメで声をやった子だとは全然気がつかなかった。で、直近は「ゼブラーマン」でエロイ格好をして大活躍だな。でも、映画は全然見てないんだけどね(笑)。
May 13, 2010
[音楽]
単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その3)
前回(その2)からの続き。
前回のエントリーの中では「制作・宣伝担当者とアーティストのミスマッチ」が機能不全を起こすと書いたけれど、では、制作・宣伝担当者とアーティストが素晴らしいマッチングを果たせば、それで万事快調になるのかと言えば、残念ながらそうとは限らない。
通常、「レコード会社」というシステムの中では複数の契約アーティストが存在する。そして、制作・宣伝予算は当然ながら無尽蔵という訳にはいかず、全てのアーティストに対して公平にその予算を分配することは難しい。したがって、必ずプライオリティ(優先順序)が生まれ、結果的には何らかの会社方針で決められた「プライオリティ・アーティスト」と呼ばれる一部のアーティストを中心にして、会社の持つリソース(人・金・時間)が注ぎ込まれることになる。
逆に言えば、プライオリティ・アーティストに選ばれなかった場合は、残念ながら人も金も時間もそれほど十分には用意されない可能性が高い。
このプライオリティがいかにして決められるかは、その時々によって変わってくる。これまで何度もミリオンセールスを達成したアーティストが新譜を発表するとなれば、当然のようにそのアーティストがプライオリティ・アーティストに選ばれる。しかし、例えば全くの無名新人アーティストでも、社長のお気に入りになれば、ちょっとした中堅アーティストを押しのけてプライオリティの筆頭に選ばれることも可能だ(某レコード会社はこの傾向が顕著な気がしなくもない)。
また、最初は全くケアされていなかったアーティストが、何らかのきっかけで売れ始めると、突然プライオリティ・アーティストになることも珍しくない。古い話になるけれど、宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」には当初PVさえ用意されていなかった。けれど、ラジオ等で話題になりCDのセールスが伸びることで、にわか仕立てのPVが作られ、それ以降に続く作品では最初から大がかりな制作体制と宣伝施策が仕込まれるようになった。これなどは全くの非プライオリティ・アーティストが一気にトップ・プライオリティ・アーティストに生まれ変わった典型的な例と言えるだろう。
なお、当然のように、一度プライオリティ・アーティストに選ばれたとしても、それが永遠に続く保証はない。
つまり、アーティストにとってみれば、作品を作り市場に出ていく前に、まずは同じレコード会社内に所属するアーティスト達との競争が待っているということであり、そこでの勝負の結果がその後の活動において大きな影響を及ぼす。プライオリティが低くなれば、制作予算は少なくなり、宣伝にかけてもらえる手間暇も限られてくる。そして、レコード会社の規模が大きくなればなるほど、社内で競合するアーティスト数は多くなり、競争も激しい。デビューして市場に出る前に事実上淘汰されてしまう可能性も考えれば、有名大手レーベルに所属することが即ち勝ち組とは限らない。
商業音楽活動を志すアーティストが、今の時代に「レコード会社」というシステムをパートナーとして選択する際には、そのメリットとデメリットを十分に考えるべきだし、上記したような会社の事情もあることは知っておくべきだと思う。
レコード会社は営利企業なので、収益を最大限にすることが求められる。プライオリティにリソースを注ぎ込み、そうでないものは適宜整理されていくのが道理だ。一方で、個人では用意できないほどの大きなリソースをもってして、ダイナミックな展開をできるのが企業というシステムの強みであり、成功したときのリターンもそれだけ大きなものを期待できるというのが建前。
で、じゃ、大規模な展開を考えない/期待しないアーティストの場合、レコード会社というシステムと組むのは全くメリットが無いことなのかと言えば、そうとばかりは限らないと思う。その辺りのことについては次に書いてみたい。ということで、このネタはまだ続くことに…。
当ブログでの関連エントリー
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その1)
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その2)
前回のエントリーの中では「制作・宣伝担当者とアーティストのミスマッチ」が機能不全を起こすと書いたけれど、では、制作・宣伝担当者とアーティストが素晴らしいマッチングを果たせば、それで万事快調になるのかと言えば、残念ながらそうとは限らない。
通常、「レコード会社」というシステムの中では複数の契約アーティストが存在する。そして、制作・宣伝予算は当然ながら無尽蔵という訳にはいかず、全てのアーティストに対して公平にその予算を分配することは難しい。したがって、必ずプライオリティ(優先順序)が生まれ、結果的には何らかの会社方針で決められた「プライオリティ・アーティスト」と呼ばれる一部のアーティストを中心にして、会社の持つリソース(人・金・時間)が注ぎ込まれることになる。
逆に言えば、プライオリティ・アーティストに選ばれなかった場合は、残念ながら人も金も時間もそれほど十分には用意されない可能性が高い。
このプライオリティがいかにして決められるかは、その時々によって変わってくる。これまで何度もミリオンセールスを達成したアーティストが新譜を発表するとなれば、当然のようにそのアーティストがプライオリティ・アーティストに選ばれる。しかし、例えば全くの無名新人アーティストでも、社長のお気に入りになれば、ちょっとした中堅アーティストを押しのけてプライオリティの筆頭に選ばれることも可能だ(某レコード会社はこの傾向が顕著な気がしなくもない)。
また、最初は全くケアされていなかったアーティストが、何らかのきっかけで売れ始めると、突然プライオリティ・アーティストになることも珍しくない。古い話になるけれど、宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」には当初PVさえ用意されていなかった。けれど、ラジオ等で話題になりCDのセールスが伸びることで、にわか仕立てのPVが作られ、それ以降に続く作品では最初から大がかりな制作体制と宣伝施策が仕込まれるようになった。これなどは全くの非プライオリティ・アーティストが一気にトップ・プライオリティ・アーティストに生まれ変わった典型的な例と言えるだろう。
なお、当然のように、一度プライオリティ・アーティストに選ばれたとしても、それが永遠に続く保証はない。
つまり、アーティストにとってみれば、作品を作り市場に出ていく前に、まずは同じレコード会社内に所属するアーティスト達との競争が待っているということであり、そこでの勝負の結果がその後の活動において大きな影響を及ぼす。プライオリティが低くなれば、制作予算は少なくなり、宣伝にかけてもらえる手間暇も限られてくる。そして、レコード会社の規模が大きくなればなるほど、社内で競合するアーティスト数は多くなり、競争も激しい。デビューして市場に出る前に事実上淘汰されてしまう可能性も考えれば、有名大手レーベルに所属することが即ち勝ち組とは限らない。
商業音楽活動を志すアーティストが、今の時代に「レコード会社」というシステムをパートナーとして選択する際には、そのメリットとデメリットを十分に考えるべきだし、上記したような会社の事情もあることは知っておくべきだと思う。
レコード会社は営利企業なので、収益を最大限にすることが求められる。プライオリティにリソースを注ぎ込み、そうでないものは適宜整理されていくのが道理だ。一方で、個人では用意できないほどの大きなリソースをもってして、ダイナミックな展開をできるのが企業というシステムの強みであり、成功したときのリターンもそれだけ大きなものを期待できるというのが建前。
で、じゃ、大規模な展開を考えない/期待しないアーティストの場合、レコード会社というシステムと組むのは全くメリットが無いことなのかと言えば、そうとばかりは限らないと思う。その辺りのことについては次に書いてみたい。ということで、このネタはまだ続くことに…。
当ブログでの関連エントリー
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その1)
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その2)
May 12, 2010
May 06, 2010
[音楽]
単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その2)
大分時間が経ってしまったけれど、前回(その1)からの続きということで。
もし仮に、前回のエントリーで書いたように、CDやアナログ盤等の物理パッケージ販売ビジネスが従来のレコード会社からは独立した専門事業者に委ねられ、その一方で一般的な音源販売ビジネスはデータ配信形式が中心になると予想すれば、これからのレコード会社的ビジネスは以下のように分割されることになりそう:
● これまでレコード会社が担ってきた事業
● 物理パッケージ販売事業者/データ配信事業者が今後担うであろう事業
普通の人が「レコード会社の仕事」という言葉でイメージしやすいのは、おそらく「制作」と「宣伝」のはず。実際、レコード会社の中でもこの二つの業務に割かれるリソースは金も人も時間も含めてかなり大きい。
これらの業務内容を乱暴に説明すると、制作は音源(演奏を録音したもの&販売用パッケージ)を作る仕事、宣伝は出来上がった音源を広く世の中に知らしめる仕事ということになる。
ただ実際には、組織の運営状況にもよるとは思うけれど、制作と宣伝の仕事の境界は曖昧で、本来なら制作業務であるはずの仕事をこなす宣伝担当者もいれば、宣伝よりも媒体に顔が利く制作ディレクターがいて取材は全部その人がアレンジなんてこともあったりして、必ずしも分業がきっちりと成立している訳ではない。
まぁ、制作も宣伝も、たとえ分業がちゃんと出来ていなくても、結果として全体がバランス良く機能していればそれで何も問題はない。問題があるとすれば、機能すべき業務が機能しない時だろう。そして、レコード会社の中では往々にして、ちょっと残念な機能不全とも言える事態が起こりえる。
何が「残念な機能不全とも言える事態」かというと、それは制作・宣伝担当者とアーティストのアンマッチだ。
レコード会社というのは、そこに「会社」という言葉が付くように、人事異動なども含めて、必ずしも中の人全員が自分のやりたい仕事をできる訳ではない。したがって、極端な話、制作・宣伝担当者が自分の大嫌いなアーティストを受け持つことも大いにあり得る話なのだ。また、「大嫌い」というネガティブなベクトルでも関心があるうちはまだマシな方で、一番困るのは無関心という姿勢だろう。こういう状況で、本来なら商業的成功の可能性を秘めたアーティストが、担当者の無策のうちに消えていくという話も100パーセント無いとは断言できないし、それに近い実例も……。(ま、逆に言えば、レコード会社の中の人も、自分の担当アーティストをいつでも自由に選べる訳じゃない…)
という訳で、現在のレコード会社システムにおいては、アーティストの立場からすれば、レーベルやレコード会社という大きな器は自らの意志で選択することが出来ても、実際に仕事を一緒にする担当者は余程の理由(発言力がある大物アーティストだとか…)がない限り自由には選べないし、その後何らかの問題が発生しても担当を変更することはなかなか難しい。
さらに、レコード会社の社員からすれば、今回担当したアーティストや作品が売れなくても次の企画があるさという気持ちがどこかにあるのは否めない一方で、アーティスト本人にとってみれば、今回売れなければ「次」は無いかもしれないという非常に重たい事情がある。この辺りの意識の差は、やはり残念ながら当事者間で大きな隔たりがあると思うし、もしかしたらこのことが今のレコード産業の凋落に何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。ま、あくまでも「かもしれない」という程度で確証は全然無いけれど…。
で、じゃぁ一体どうすれば、より好ましい状況を作り出せるのだろうかと考えた場合、例えば、アーティストが作品や楽曲、企画毎に、制作や宣伝の担当スタッフを選んで仕事を依託するという形に出来れば、ちょっと事態が変わるのじゃないだろうかと思ったりするのだ。乱暴に言えば、音楽アーティスト自らが制作会社や広告代理店を雇うということ。
自分の今の作品や活動形態に最もマッチする担当者と一緒に仕事をするというのはとても自然な考え方だ。依託される制作・宣伝担当者にしても、この仕事でちゃんと成果を出すことで次があるという考え方になれば、請け負った仕事の中身も自ずとより良いものになっていくのではないだろうか。
要するに、制作・宣伝という業務は、必ずしもレコード会社という一つの組織に固定されなくても良いということだ。もちろん、作品毎に担当者を変えるのは面倒だから決まったレコード会社に全部お任せという考え方もありで、それを否定するつもりはない。ただ、今日のように常に変動し極度に細分化されつつある市場においては、一つのレコード会社のリソースだけに制作や宣伝を任せるのはハイリスクである可能性も高いのじゃないだろうかと感じる次第。
ただし、仮にレコード会社という枠を取っ払って新たな形の事業者に制作や宣伝を依託するとした場合、どういう収支のビジネスモデルになるのかが課題だろう。一つの可能性としては、作品の売上からのロイヤリティベースが考えられる。しかし、商業音源の売上は1曲単位で考えると余程の大ヒットでもなければ額が小さい。とてもそれでは継続的なビジネスにならない。もっと根本からマネタイズの流れを考えなおさないと、このアイディアの実現は無理かもしれない。ま、一つの可能性としての与太話(笑)。
とりあえず今日はこんなところで。もう1回は続きを書く予定。
当ブログでの関連エントリー
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その1)
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その3)
もし仮に、前回のエントリーで書いたように、CDやアナログ盤等の物理パッケージ販売ビジネスが従来のレコード会社からは独立した専門事業者に委ねられ、その一方で一般的な音源販売ビジネスはデータ配信形式が中心になると予想すれば、これからのレコード会社的ビジネスは以下のように分割されることになりそう:
● これまでレコード会社が担ってきた事業
経営(総務・人事・経理) |
法務(契約) |
制作 |
宣伝 |
● 物理パッケージ販売事業者/データ配信事業者が今後担うであろう事業
製造 |
営業・流通 |
普通の人が「レコード会社の仕事」という言葉でイメージしやすいのは、おそらく「制作」と「宣伝」のはず。実際、レコード会社の中でもこの二つの業務に割かれるリソースは金も人も時間も含めてかなり大きい。
これらの業務内容を乱暴に説明すると、制作は音源(演奏を録音したもの&販売用パッケージ)を作る仕事、宣伝は出来上がった音源を広く世の中に知らしめる仕事ということになる。
ただ実際には、組織の運営状況にもよるとは思うけれど、制作と宣伝の仕事の境界は曖昧で、本来なら制作業務であるはずの仕事をこなす宣伝担当者もいれば、宣伝よりも媒体に顔が利く制作ディレクターがいて取材は全部その人がアレンジなんてこともあったりして、必ずしも分業がきっちりと成立している訳ではない。
まぁ、制作も宣伝も、たとえ分業がちゃんと出来ていなくても、結果として全体がバランス良く機能していればそれで何も問題はない。問題があるとすれば、機能すべき業務が機能しない時だろう。そして、レコード会社の中では往々にして、ちょっと残念な機能不全とも言える事態が起こりえる。
何が「残念な機能不全とも言える事態」かというと、それは制作・宣伝担当者とアーティストのアンマッチだ。
レコード会社というのは、そこに「会社」という言葉が付くように、人事異動なども含めて、必ずしも中の人全員が自分のやりたい仕事をできる訳ではない。したがって、極端な話、制作・宣伝担当者が自分の大嫌いなアーティストを受け持つことも大いにあり得る話なのだ。また、「大嫌い」というネガティブなベクトルでも関心があるうちはまだマシな方で、一番困るのは無関心という姿勢だろう。こういう状況で、本来なら商業的成功の可能性を秘めたアーティストが、担当者の無策のうちに消えていくという話も100パーセント無いとは断言できないし、それに近い実例も……。(ま、逆に言えば、レコード会社の中の人も、自分の担当アーティストをいつでも自由に選べる訳じゃない…)
という訳で、現在のレコード会社システムにおいては、アーティストの立場からすれば、レーベルやレコード会社という大きな器は自らの意志で選択することが出来ても、実際に仕事を一緒にする担当者は余程の理由(発言力がある大物アーティストだとか…)がない限り自由には選べないし、その後何らかの問題が発生しても担当を変更することはなかなか難しい。
さらに、レコード会社の社員からすれば、今回担当したアーティストや作品が売れなくても次の企画があるさという気持ちがどこかにあるのは否めない一方で、アーティスト本人にとってみれば、今回売れなければ「次」は無いかもしれないという非常に重たい事情がある。この辺りの意識の差は、やはり残念ながら当事者間で大きな隔たりがあると思うし、もしかしたらこのことが今のレコード産業の凋落に何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。ま、あくまでも「かもしれない」という程度で確証は全然無いけれど…。
で、じゃぁ一体どうすれば、より好ましい状況を作り出せるのだろうかと考えた場合、例えば、アーティストが作品や楽曲、企画毎に、制作や宣伝の担当スタッフを選んで仕事を依託するという形に出来れば、ちょっと事態が変わるのじゃないだろうかと思ったりするのだ。乱暴に言えば、音楽アーティスト自らが制作会社や広告代理店を雇うということ。
自分の今の作品や活動形態に最もマッチする担当者と一緒に仕事をするというのはとても自然な考え方だ。依託される制作・宣伝担当者にしても、この仕事でちゃんと成果を出すことで次があるという考え方になれば、請け負った仕事の中身も自ずとより良いものになっていくのではないだろうか。
要するに、制作・宣伝という業務は、必ずしもレコード会社という一つの組織に固定されなくても良いということだ。もちろん、作品毎に担当者を変えるのは面倒だから決まったレコード会社に全部お任せという考え方もありで、それを否定するつもりはない。ただ、今日のように常に変動し極度に細分化されつつある市場においては、一つのレコード会社のリソースだけに制作や宣伝を任せるのはハイリスクである可能性も高いのじゃないだろうかと感じる次第。
ただし、仮にレコード会社という枠を取っ払って新たな形の事業者に制作や宣伝を依託するとした場合、どういう収支のビジネスモデルになるのかが課題だろう。一つの可能性としては、作品の売上からのロイヤリティベースが考えられる。しかし、商業音源の売上は1曲単位で考えると余程の大ヒットでもなければ額が小さい。とてもそれでは継続的なビジネスにならない。もっと根本からマネタイズの流れを考えなおさないと、このアイディアの実現は無理かもしれない。ま、一つの可能性としての与太話(笑)。
とりあえず今日はこんなところで。もう1回は続きを書く予定。
当ブログでの関連エントリー
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その1)
・単なる与太話:レコード会社を解体してみる試案(その3)
May 05, 2010
佐々木豊「格闘家に学ぶ体脂肪コントロール―なぜ格闘家は3時間で3kg体重を落とせるのか?」を読んだ(BlogPet)
wmsの「佐々木豊「格闘家に学ぶ体脂肪コントロール―なぜ格闘家は3時間で3kg体重を落とせるのか?」を読んだ」のまねしてかいてみるね
ツイッターの全日本王座につけた体脂肪コントロール―なぜ格闘家が果たしてこの内容を日常生活で優勝を運営する♪
格闘家につけた格闘家にまつわるウエイトコントロール―なぜ格闘家にまつわるウエイトコントロール―なぜ格闘家がありそう。
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
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