August 31, 2008
[時事]
ストビューが話題になっている件
Googleマップのストリートビュー機能(略して「GSV」または「ストビュー」)がネット界隈において色々と話題になっている。
とりあえず、何が問題になっているのかを穏便な形のまとめとして知ることができるので、先日行われたMIAUのシンポジウム取材記事を以下にいくつかクリップしておく:
Google側の一番の問題は、現状の日本支社の力だけでは、エンドユーザーからの意見を遍く受け付けてそれに対する公式な見解を出すという、そんな当たり前のことが出来そうにないということだろう。まぁ、こういう傾向は他の外資系企業でもよくあること。中には、単なる海外出張所でしかないくせに、そこで働いている現地採用の社員が何かを大きく勘違いしていたりして、そういう場合はかなり始末に悪い…。
こういうダメな外資系企業に対しては、やはり不買運動が一番有効。先走って行政レベルに訴えて法的な規制を持ち出してしまったりすると、他の関係ないものにも著しい影響が出てしまうので、それだけは絶対に避けるべきだ。
で、Googleの場合、物理的な商品を売っている訳ではないけれど、Googleの各種サービスを利用しないようにすることによって、エンドユーザーの意志を表明することは可能なはず。
個人的には今のところ、GSVの問題点は理解しつつ、まだ積極的な賛成でもなければ反対でもなく、保留のまま成り行きを見守ろうという感じ。ただし、もし決定的な形で反対することになれば、まずはAdSense等のGoogleが提供する広告配信を全て拒否し、検索も他のサービスを利用することから始めようとは思う。
ちなみに、テクニカルなことを考えれば、GSVよりもGoogleマップのサテライトビューの方がはるかに「気持ち悪い」。なぜなら、あの最大限にズームインしたときのボンヤリした解像度は、実は民生用だからあそこまでに限定されているのであって、軍用データならさらにもっとハッキリと大きくズームインできるはずだから。要は、どこかの世界一の軍隊を持つ国からすれば、地球上に住む限りプライバシーなんて一欠片も存在しないのだ…。(ま、自分のようなどうでもいい存在がそこまでして追いかけられる事態も起こりえないのだけどw)
とりあえず、何が問題になっているのかを穏便な形のまとめとして知ることができるので、先日行われたMIAUのシンポジウム取材記事を以下にいくつかクリップしておく:
「Googleストリートビュー」は何が問題か――MIAUがシンポ(ITmedia)
「ストリートビュー」はどこが問題か、MIAUシンポジウムで議論(INTERNET Watch)
Googleストリートビュー、「面白い」?「気持ち悪い」?-- 有識者が議論(CNET Japan)
Google側の一番の問題は、現状の日本支社の力だけでは、エンドユーザーからの意見を遍く受け付けてそれに対する公式な見解を出すという、そんな当たり前のことが出来そうにないということだろう。まぁ、こういう傾向は他の外資系企業でもよくあること。中には、単なる海外出張所でしかないくせに、そこで働いている現地採用の社員が何かを大きく勘違いしていたりして、そういう場合はかなり始末に悪い…。
こういうダメな外資系企業に対しては、やはり不買運動が一番有効。先走って行政レベルに訴えて法的な規制を持ち出してしまったりすると、他の関係ないものにも著しい影響が出てしまうので、それだけは絶対に避けるべきだ。
で、Googleの場合、物理的な商品を売っている訳ではないけれど、Googleの各種サービスを利用しないようにすることによって、エンドユーザーの意志を表明することは可能なはず。
個人的には今のところ、GSVの問題点は理解しつつ、まだ積極的な賛成でもなければ反対でもなく、保留のまま成り行きを見守ろうという感じ。ただし、もし決定的な形で反対することになれば、まずはAdSense等のGoogleが提供する広告配信を全て拒否し、検索も他のサービスを利用することから始めようとは思う。
ちなみに、テクニカルなことを考えれば、GSVよりもGoogleマップのサテライトビューの方がはるかに「気持ち悪い」。なぜなら、あの最大限にズームインしたときのボンヤリした解像度は、実は民生用だからあそこまでに限定されているのであって、軍用データならさらにもっとハッキリと大きくズームインできるはずだから。要は、どこかの世界一の軍隊を持つ国からすれば、地球上に住む限りプライバシーなんて一欠片も存在しないのだ…。(ま、自分のようなどうでもいい存在がそこまでして追いかけられる事態も起こりえないのだけどw)
August 29, 2008
August 27, 2008
原作を全く知らないトーシローのオレ様が映画「DMC」を観ましたよ
色々なところで色々と評判になっているので、素直に釣られて映画「デトロイト・メタル・シティ(略して「DMC」)」を観てきた。
仕事をさぼって 市場調査目的だったので、平日昼間の渋谷にある劇場へ出向いたのだけど、夏休み期間ということもあり、観客の9割方は学生さんという感じの若者で溢れかえり、完全満席に加えて立ち見ありのカオスな状況。正直、オヤジ一人であそこへ入場していくのはかなり怖かった。
しかし、映画が始まってみれば、大きな声でゲラゲラ笑う人もあまりいず、ましてや往年のロッキーホラーショーのように映画に合わせて観客が暴れたり踊り出すというようなことも一切無くて、逆にちょっとと言うか、かなりガッカリした(笑)。
映画を見終わってまず思ったのは、やはり日本の映画でロックは難しいのだなぁということ。別に過剰にマニアックなロック映画を期待していた訳ではないし、十分ロケンロールな趣も醸し出していたけれど、それでもやはり、後半の山田洋次ちっく(?)な演出は、個人的にはちょっと白けた(そんなデスでロックな気持ちとは裏腹に、歳を取ると涙もろくなるので、目からちょっと汗をかいてしまったのは秘密です)。なんというか、電車男を思い出したのはオレが頭悪いのか?
最後のオチとしては、相川さん(加藤ローサ)がなぜか唐突にメタルなおねーさんになっていて、根岸くん(松山ケンイチ)を尻に敷くシーンがエンドロールに流されるみたいな、そういうお馬鹿なロック映画のお約束的な後日談の方がカッコヨカッタように思う。ま、それはオレが原作を全然知らないからそう思うだけなのかも(もしくは加藤ローサにそういう格好をさせて萌えてみたかったからだけなのかもしれない)。
「ケータイ小説的。」の著者であり、ブログ「犬にかぶらせろ!」(【A面】と【B面】)を運営されている速水健朗氏は、Twitterで以下のように述べられていた:
それから、「Waste Of Pops 80s-90s」さんが8月25日付け記事で、この映画について「考えてみれば映画本編も後々、少なくとも地上波での放映は不可能ということになる」と言及されていたけれど、穿った見方をすれば、イマドキの映画システムなんだから、もしかすると挿入歌も含めてクリーン・バージョンが別途作られていたとしても不思議じゃないよなと思ったりはした。だって、それほど熱い青春映画なんだもの(笑)。
最後に、この映画のネタとなっているであろうと思われる過去のロックな名作(迷作)タイトルを2つほどリストアップしてみる。
この上記2作品はガチでネタになってると思うんだよね。特に、クロスロードのギターバトル・シーンは、バカバカしさでかなりきてる。たぶん古今のロック映画の中でも、これほど「見ている方が恥ずかしくなる」感に溢れているものはなかなか無い。あれに比べれば「エレキの若大将」のギターバトルなんて超マジだ。
PS. 蛇足ではあるけれど、「DMC」がエンタテインメント作品として良く出来ていることは間違いないので補足。ま、映画館の中で一番ヘラヘラ笑っていたのは自分だろうな。ちょっと意外だったのは、K DUB SHINEのシーンが館内で全然反応無かったこと。イマドキの若者はもう彼のこととか知らないのかな?
しかし、映画が始まってみれば、大きな声でゲラゲラ笑う人もあまりいず、ましてや往年のロッキーホラーショーのように映画に合わせて観客が暴れたり踊り出すというようなことも一切無くて、逆にちょっとと言うか、かなりガッカリした(笑)。
映画を見終わってまず思ったのは、やはり日本の映画でロックは難しいのだなぁということ。別に過剰にマニアックなロック映画を期待していた訳ではないし、十分ロケンロールな趣も醸し出していたけれど、それでもやはり、後半の山田洋次ちっく(?)な演出は、個人的にはちょっと白けた(そんなデスでロックな気持ちとは裏腹に、歳を取ると涙もろくなるので、目からちょっと汗をかいてしまったのは秘密です)。なんというか、電車男を思い出したのはオレが頭悪いのか?
最後のオチとしては、相川さん(加藤ローサ)がなぜか唐突にメタルなおねーさんになっていて、根岸くん(松山ケンイチ)を尻に敷くシーンがエンドロールに流されるみたいな、そういうお馬鹿なロック映画のお約束的な後日談の方がカッコヨカッタように思う。ま、それはオレが原作を全然知らないからそう思うだけなのかも(もしくは加藤ローサにそういう格好をさせて萌えてみたかったからだけなのかもしれない)。
「ケータイ小説的。」の著者であり、ブログ「犬にかぶらせろ!」(【A面】と【B面】)を運営されている速水健朗氏は、Twitterで以下のように述べられていた:
DMC観た。終わった瞬間、微妙〜っていう空気と「いまいち」という会話が映画観中に流れた。たしかにラストはあり得ない脚本的ミスをしてるなあ。(注:原文ママ)
それから、「Waste Of Pops 80s-90s」さんが8月25日付け記事で、この映画について「考えてみれば映画本編も後々、少なくとも地上波での放映は不可能ということになる」と言及されていたけれど、穿った見方をすれば、イマドキの映画システムなんだから、もしかすると挿入歌も含めてクリーン・バージョンが別途作られていたとしても不思議じゃないよなと思ったりはした。だって、それほど熱い青春映画なんだもの(笑)。
最後に、この映画のネタとなっているであろうと思われる過去のロックな名作(迷作)タイトルを2つほどリストアップしてみる。
スパイナル・タップ【初回生産限定】 原題「This Is Spinal Tap」 オリジナル公開年度:1984年(米) 架空のロックバンド「スパイナル・タップ」の全米ツアーを追いかけたドキュメンタリー作品(もちろん全部ウソ)。メンバー間の摩擦、時流にのって変化するバンド・サウンド、音楽性に介入したがるガールフレンド、でたらめなレコード会社等々、演奏シーンも含めて本物以上にリアルなエピソードを満載。ある意味でこれこそがロック・ビジネスの正体(いやマジで)。 |
クロスロード 原題「Crossroads」 オリジナル公開年度:1986年(米) ロバート・ジョンソンをモチーフにした伝説のギタリストに憧れる青年が、様々な経験を通して真のブルースギタリストに成長していく姿を描いた作品。OSTはライ・クーダーが担当。敵役として天才超絶ギタリストのスティーヴ・ヴァイが謎の悪魔的ギタリストを怪演しており、火花飛び散るギターバトルは超必見(笑)。あとは、小道具として登場するピグノーズアンプが何気にカッコイイので物欲を刺激されるかも。 |
この上記2作品はガチでネタになってると思うんだよね。特に、クロスロードのギターバトル・シーンは、バカバカしさでかなりきてる。たぶん古今のロック映画の中でも、これほど「見ている方が恥ずかしくなる」感に溢れているものはなかなか無い。あれに比べれば「エレキの若大将」のギターバトルなんて超マジだ。
PS. 蛇足ではあるけれど、「DMC」がエンタテインメント作品として良く出来ていることは間違いないので補足。ま、映画館の中で一番ヘラヘラ笑っていたのは自分だろうな。ちょっと意外だったのは、K DUB SHINEのシーンが館内で全然反応無かったこと。イマドキの若者はもう彼のこととか知らないのかな?
August 24, 2008
初音ミクのジレンマ
Twitter経由で「せんみく(仙台初音ミク音楽祭)」の模様などが報告されるのをボーッと読んでいたら、ちょっと気になる発言があった:
これ、前後の文脈から理解するに、プロの音楽制作現場でもボーカロイドを仮歌用に使うのだけれど、その場合は初音ミクよりも、KAITOやMEIKOがより多く使われているということらしい。
普通に考えれば、上手に歌わせるのが難しいKAITOやMEIKOよりも、調整なしでも割と自然に歌ってくれる初音ミクを使うほうが良さそうに思える。しかし、仮歌というのは、あくまで「仮」なのであって、その後に本番の歌を入れるのだから、仮歌の段階で必要以上に歌唱表現のあり方が固定されてしまうのは避けたい。
逆に言うと、初音ミクはボーカリストとしてキャラが立ちすぎているため、初音ミクで仮歌を入れてしまうと、意図するかどうかは別にして、そこでその作品が初音ミクのものとして完結してしまう可能性があるということだろう。
そして、このことがもしかすると、プロの音楽クリエイターの多くが初音ミクを使って作品を発表しない理由なのかもしれない。
どんなに凝った曲を作って、どんなに斬新なアレンジを施しても、ミクが歌った瞬間に、巷にたくさんある初音ミク作品の一つとして分類されてしまうとすれば、アーティスト性の高いクリエイターにとって初音ミクという「楽器」を使うことは、ちょっとリスキーな行為と言えなくもない。
奇しくも、「初音ミクみく」さんが8月24日付けエントリーで「平沢進氏のDVD「P-0」にヴォーカルエンジンが使用されている件について」という話を取り上げているけれど、平沢氏の選んだ「ヴォーカルエンジン」は、どうやらMEIKOの模様。
人の声をシミュレーションするということは、他の楽器を演奏することとは何かが違う。きっと人間の脳は、例えそれが人工のものと判っていても、ある特定のキャラクターを持った人の声として発された音を聞くと、それを声として認識し、そこに何らかの人格を読み取ろうとする癖があるに違いない。そういう人間の生理的な部分に訴えるからこそ、ボーカロイドには様々な可能性があると同時に、他の楽器にはない限界があるのかもしれない。
考えようによっては、21世紀になっても正義のために戦う百万馬力のロボットは登場しなかったけれど、その代わりに初音ミクが生まれてきたと言える訳で、そういう意味では手塚治虫の想像力は正しかったのだなぁと思う。「鉄腕アトム」には、ロボットがロボットとして存在することのジレンマにまつわる物語が数多くある。
PS. せんみくに参加されたmyrmecoleonさんからはてブのコメント経由で「プロの現場でも仮歌を使う KAITOとMEIKOが多い」発言の説明をいただきました。ありがとうございます。
PPS. 初音ミクがSF文学賞の第39回「星雲賞」を受賞したらしい。こんなエントリーを書いたときに何という奇遇…。
プロの現場でも仮歌を使う KAITOとMEIKOが多い
これ、前後の文脈から理解するに、プロの音楽制作現場でもボーカロイドを仮歌用に使うのだけれど、その場合は初音ミクよりも、KAITOやMEIKOがより多く使われているということらしい。
普通に考えれば、上手に歌わせるのが難しいKAITOやMEIKOよりも、調整なしでも割と自然に歌ってくれる初音ミクを使うほうが良さそうに思える。しかし、仮歌というのは、あくまで「仮」なのであって、その後に本番の歌を入れるのだから、仮歌の段階で必要以上に歌唱表現のあり方が固定されてしまうのは避けたい。
逆に言うと、初音ミクはボーカリストとしてキャラが立ちすぎているため、初音ミクで仮歌を入れてしまうと、意図するかどうかは別にして、そこでその作品が初音ミクのものとして完結してしまう可能性があるということだろう。
そして、このことがもしかすると、プロの音楽クリエイターの多くが初音ミクを使って作品を発表しない理由なのかもしれない。
どんなに凝った曲を作って、どんなに斬新なアレンジを施しても、ミクが歌った瞬間に、巷にたくさんある初音ミク作品の一つとして分類されてしまうとすれば、アーティスト性の高いクリエイターにとって初音ミクという「楽器」を使うことは、ちょっとリスキーな行為と言えなくもない。
奇しくも、「初音ミクみく」さんが8月24日付けエントリーで「平沢進氏のDVD「P-0」にヴォーカルエンジンが使用されている件について」という話を取り上げているけれど、平沢氏の選んだ「ヴォーカルエンジン」は、どうやらMEIKOの模様。
人の声をシミュレーションするということは、他の楽器を演奏することとは何かが違う。きっと人間の脳は、例えそれが人工のものと判っていても、ある特定のキャラクターを持った人の声として発された音を聞くと、それを声として認識し、そこに何らかの人格を読み取ろうとする癖があるに違いない。そういう人間の生理的な部分に訴えるからこそ、ボーカロイドには様々な可能性があると同時に、他の楽器にはない限界があるのかもしれない。
考えようによっては、21世紀になっても正義のために戦う百万馬力のロボットは登場しなかったけれど、その代わりに初音ミクが生まれてきたと言える訳で、そういう意味では手塚治虫の想像力は正しかったのだなぁと思う。「鉄腕アトム」には、ロボットがロボットとして存在することのジレンマにまつわる物語が数多くある。
PS. せんみくに参加されたmyrmecoleonさんからはてブのコメント経由で「プロの現場でも仮歌を使う KAITOとMEIKOが多い」発言の説明をいただきました。ありがとうございます。
PPS. 初音ミクがSF文学賞の第39回「星雲賞」を受賞したらしい。こんなエントリーを書いたときに何という奇遇…。
August 23, 2008
UGCの現在地:ニコマスって何なの?
このCGアニメ作品がすごい。(注:動画データがかなり重たく、マシン環境によってはオンライン再生が難しいかもしれない。まさにうちのマシン環境ではブラウザ上でまともに動かないため、HDD上へファイル保存してようやく再生することができた…)
・アイドルマスター 如月千早 「嵐が丘」
この作品は、いわゆる「ニコマス」と呼ばれるものの一種だ。ニコマスとは、ゲーム「アイドルマスター(IDOLM@STER、略して「アイマス」)」を素材にしてニコニコ動画上で発表される種々雑多なMAD作品の総称。
ニコマスの判りやすい例を一つあげるとすれば、Perfumeの曲を初音ミクに歌わせて、そこにアイマスの動画をシンクロさせたこの作品だろう。この組み合わせは2007年のニコ動を象徴している。
・エレクトロ・ワールド(VOCALOID2 初音ミク ver.1.1)
残念ながらニコ動にあったオリジナル動画の方は、作者のアカウント削除により既に現存しない。個人的には、この作品で初めて初音ミクのすごさとニコマスの面白さを同時に知っただけに残念。まぁ、今改めて見直すと、リップシンクが出来てなかったりと、ニコマスとしてはかなり素朴で原始的な部類に入るのかもしれない。そして、そんな風にかんじるのは逆に、最近の作品がリップシンクは当たり前になるほどの高度な編集テクニックを駆使した力作揃いだからなのだろう。
(※とりあえず、ニコマスの成り立ち等を時系列を追いながら総体的に知りたい人は、例えば「The iDOL M@STER ニコニコ動画まとめWiki」の「ニコマス入門」辺りを参照してください)
ともかく、ニコマスが進化するにつれて、単に自分の好きな音楽に合わせてアイマスのゲーム動画を編集・構築していくだけものとは別に、自作オリジナル動画などを組み合わせて、アイマス世界に対する「メタ」な表現を試みる作品も登場してきており、これらが非常に興味深い。そんなメタな作品の好例がこちら:
・電気グルーヴ VOLCANIC ののワBEATS(オートループ再生に注意)
この動画は、純粋なアイマスへのオマージュに加え、他のニコマス作品に対するパロディー表現も含むという、メタの上にメタを重ねたような、まさに「MAD(狂気)」な世界だ。電気グルーヴの楽曲が持つパワーの助けもあるが、ここにはアイマス/ニコマスの作法や文法を知らない者をも圧倒できるだけのアート性があると感じる。まさにポスト赤塚不二夫、これでいいのだと言えなくもない。しかし、この表現形式は、広く大衆に受け入れられるだけの普遍性はなく、カッティングエッジなものでしかないだろう。
一方で、最初にあげた「嵐が丘」のニコマス作品は、アイマス動画からの借用ではない完全な自作絵を全編に起用しながらも、地上波テレビで放送されても全く違和感なく受け入れられるであろうほどの品質と作品性を実現している。無理にこの作品のネガティブな要素を探すとすれば、それは使用楽曲が一般にあまり馴染みのない洋楽作品であるということぐらいだ。
しかし、ここにきて気になることがある。それは、この嵐が丘を題材にしたアニメが、なぜあえて「ニコマス」という特殊な設定を通じてMAD作品として発表されねばならないかということだ。
これに対する一つの回答は、やはりニコマスを自ら作成する立場であるDikeP(大工P)氏の8月23日付けブログエントリー「嵐が丘」における論評が参考になるのかもしれない。
DikeP氏の解釈によれば、嵐が丘ニコマス作者えこP氏は、アイマス登場キャラクターの一人である「千早」のゲームストーリー上における心象と同じものを、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」という曲の詞の中に見いだし(実はこの曲自体がブロンテの同名小説を題材にしたメタ作品だ)、それを新しいアニメーション作品としてメタ化したということらしい。自分はアイマスというゲームをしたことがないので、えこP氏の制作意図が果たしてDikeP氏の解釈通りなのかどうかは全く判断できない。しかし、もし、そこまで登場キャラクターに思い入れてアイマスというゲームをプレイし、そのキャラクターへ寄せる思いを昇華する一つの行為としてニコマス作品を作るというのであれば、もうそれはアート以外の何ものでもないと言える。
ここで非常に残念なのは、ニコマスが著作権的に違法な成果物であるということだ。まず、ほとんどのニコマス作品はアイマスという著作物の映像および音声をベースにしている。さらに、多くの作品が著作権のある商業音楽録音物を無許諾で音源としており、これらの行為を現行の法律に照らし合わせれば著作権侵害以外の何ものでもない。特に、海外楽曲を動画にシンクロするための権利処理は、完全にJASRAC等の管轄外であるため交渉が非常に難しく、外国曲を使ったニコマスに関しては合法的なアート作品として広く公開することは不可能に近い。また仮に権利処理交渉ができたとしても、そこで請求される楽曲使用料の額面は莫大なものになる可能性が高い。
ニコマスで活躍する才能ある映像作家の中には、上記のような映像シンクロにまつわる権利処理が困難であることを逆手にとって、いつかは消されてしまう「遊び」と割り切っているプロも多いのかもしれない。しかし、その一方で、真剣に映像表現としてニコマスに取り組んでいるアーティストがいるのだとすれば、そろそろニコマスは卒業して、自分のオリジナルな作品を作り発表することを考えるべきなのではないだろうかと思う。せっかくの素晴らしい作品が著作権の名目でこの世から消えてしまうのはあまりにも惜しい…。
PS. 「とつかしね☆なの。(仮)」さんの8月23日付けエントリー「やりたいことに忠実になるなら、そうなるよね。という話。」は非常に興味深い。やはりアイマスの世界観にこだわるからこそ、ああした作品が出来るという可能性は高いのかもしれない。一方で、まさに自分はニコマスに対してアイマスの文脈は何も求めていない門外漢であることも再認識した次第。
・アイドルマスター 如月千早 「嵐が丘」
この作品は、いわゆる「ニコマス」と呼ばれるものの一種だ。ニコマスとは、ゲーム「アイドルマスター(IDOLM@STER、略して「アイマス」)」を素材にしてニコニコ動画上で発表される種々雑多なMAD作品の総称。
ニコマスの判りやすい例を一つあげるとすれば、Perfumeの曲を初音ミクに歌わせて、そこにアイマスの動画をシンクロさせたこの作品だろう。この組み合わせは2007年のニコ動を象徴している。
・エレクトロ・ワールド(VOCALOID2 初音ミク ver.1.1)
残念ながらニコ動にあったオリジナル動画の方は、作者のアカウント削除により既に現存しない。個人的には、この作品で初めて初音ミクのすごさとニコマスの面白さを同時に知っただけに残念。まぁ、今改めて見直すと、リップシンクが出来てなかったりと、ニコマスとしてはかなり素朴で原始的な部類に入るのかもしれない。そして、そんな風にかんじるのは逆に、最近の作品がリップシンクは当たり前になるほどの高度な編集テクニックを駆使した力作揃いだからなのだろう。
(※とりあえず、ニコマスの成り立ち等を時系列を追いながら総体的に知りたい人は、例えば「The iDOL M@STER ニコニコ動画まとめWiki」の「ニコマス入門」辺りを参照してください)
ともかく、ニコマスが進化するにつれて、単に自分の好きな音楽に合わせてアイマスのゲーム動画を編集・構築していくだけものとは別に、自作オリジナル動画などを組み合わせて、アイマス世界に対する「メタ」な表現を試みる作品も登場してきており、これらが非常に興味深い。そんなメタな作品の好例がこちら:
・電気グルーヴ VOLCANIC ののワBEATS(オートループ再生に注意)
この動画は、純粋なアイマスへのオマージュに加え、他のニコマス作品に対するパロディー表現も含むという、メタの上にメタを重ねたような、まさに「MAD(狂気)」な世界だ。電気グルーヴの楽曲が持つパワーの助けもあるが、ここにはアイマス/ニコマスの作法や文法を知らない者をも圧倒できるだけのアート性があると感じる。まさにポスト赤塚不二夫、これでいいのだと言えなくもない。しかし、この表現形式は、広く大衆に受け入れられるだけの普遍性はなく、カッティングエッジなものでしかないだろう。
一方で、最初にあげた「嵐が丘」のニコマス作品は、アイマス動画からの借用ではない完全な自作絵を全編に起用しながらも、地上波テレビで放送されても全く違和感なく受け入れられるであろうほどの品質と作品性を実現している。無理にこの作品のネガティブな要素を探すとすれば、それは使用楽曲が一般にあまり馴染みのない洋楽作品であるということぐらいだ。
しかし、ここにきて気になることがある。それは、この嵐が丘を題材にしたアニメが、なぜあえて「ニコマス」という特殊な設定を通じてMAD作品として発表されねばならないかということだ。
これに対する一つの回答は、やはりニコマスを自ら作成する立場であるDikeP(大工P)氏の8月23日付けブログエントリー「嵐が丘」における論評が参考になるのかもしれない。
ともあれ、いまのところぼくにとっては上述した疑問というか、解釈上の留保がついているのですが、総体として歌詞と風景から取れば、千早の心象を表現するものとして自然な内容だと思います。
DikeP氏の解釈によれば、嵐が丘ニコマス作者えこP氏は、アイマス登場キャラクターの一人である「千早」のゲームストーリー上における心象と同じものを、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」という曲の詞の中に見いだし(実はこの曲自体がブロンテの同名小説を題材にしたメタ作品だ)、それを新しいアニメーション作品としてメタ化したということらしい。自分はアイマスというゲームをしたことがないので、えこP氏の制作意図が果たしてDikeP氏の解釈通りなのかどうかは全く判断できない。しかし、もし、そこまで登場キャラクターに思い入れてアイマスというゲームをプレイし、そのキャラクターへ寄せる思いを昇華する一つの行為としてニコマス作品を作るというのであれば、もうそれはアート以外の何ものでもないと言える。
ここで非常に残念なのは、ニコマスが著作権的に違法な成果物であるということだ。まず、ほとんどのニコマス作品はアイマスという著作物の映像および音声をベースにしている。さらに、多くの作品が著作権のある商業音楽録音物を無許諾で音源としており、これらの行為を現行の法律に照らし合わせれば著作権侵害以外の何ものでもない。特に、海外楽曲を動画にシンクロするための権利処理は、完全にJASRAC等の管轄外であるため交渉が非常に難しく、外国曲を使ったニコマスに関しては合法的なアート作品として広く公開することは不可能に近い。また仮に権利処理交渉ができたとしても、そこで請求される楽曲使用料の額面は莫大なものになる可能性が高い。
ニコマスで活躍する才能ある映像作家の中には、上記のような映像シンクロにまつわる権利処理が困難であることを逆手にとって、いつかは消されてしまう「遊び」と割り切っているプロも多いのかもしれない。しかし、その一方で、真剣に映像表現としてニコマスに取り組んでいるアーティストがいるのだとすれば、そろそろニコマスは卒業して、自分のオリジナルな作品を作り発表することを考えるべきなのではないだろうかと思う。せっかくの素晴らしい作品が著作権の名目でこの世から消えてしまうのはあまりにも惜しい…。
PS. 「とつかしね☆なの。(仮)」さんの8月23日付けエントリー「やりたいことに忠実になるなら、そうなるよね。という話。」は非常に興味深い。やはりアイマスの世界観にこだわるからこそ、ああした作品が出来るという可能性は高いのかもしれない。一方で、まさに自分はニコマスに対してアイマスの文脈は何も求めていない門外漢であることも再認識した次第。
August 22, 2008
着眼点は良いけれど微妙なところでビジネスセンスが悪い話(BlogPet)
wmsの「着眼点は良いけれど微妙なところでビジネスセンスが悪い話」のまねしてかいてみるね
日経トレンディネットの人がしてオペラの代表的に追体験できないまま気がついたら事業だと思っても、実質は11月9日付けプレスリリース「ソニー、英国オペラのデジタル映像を映画館へ配給、11月から」がした作品を配給するの日本ではかなり高いと思って、3000円を全国の人がカッコイイのデジタル映像として著名な経営センスの5月9日付けプレスリリース「Livespire」を全国の映画と「ライブイベントが与える感動・刺激・快感を楽しむ」という価格設定で1000円ということなオペラ興行を収録しない「ソニー」っぽさを、同社の一環としては「ライブイベント」を取りやめて取り組む文化事業だと言われてみると思う?
これは「ソニー」っぽされたと「ロイヤル・オペラ・ハウス・コベント・ガーデン」であるのパワーがあっても破格に収まりきらないけれど…。
普段、一般のチケット価格は単にオペラハウスとしては、この「ライブ」を日本であるのような気がヒットした。
ソニーはかなり厳しい!!
個人的にリアルなことなので(欧米の5月9日付け記事「ロイヤル・オペラ・ハウス・コベント・ガーデン」でしかないの面白させた場所や機会で数多く主催する。
まぁ、そうな枠に普及さが興味深い!!
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
日経トレンディネットの人がしてオペラの代表的に追体験できないまま気がついたら事業だと思っても、実質は11月9日付けプレスリリース「ソニー、英国オペラのデジタル映像を映画館へ配給、11月から」がした作品を配給するの日本ではかなり高いと思って、3000円を全国の人がカッコイイのデジタル映像として著名な経営センスの5月9日付けプレスリリース「Livespire」を全国の映画と「ライブイベントが与える感動・刺激・快感を楽しむ」という価格設定で1000円ということなオペラ興行を収録しない「ソニー」っぽさを、同社の一環としては「ライブイベント」を取りやめて取り組む文化事業だと言われてみると思う?
これは「ソニー」っぽされたと「ロイヤル・オペラ・ハウス・コベント・ガーデン」であるのパワーがあっても破格に収まりきらないけれど…。
普段、一般のチケット価格は単にオペラハウスとしては、この「ライブ」を日本であるのような気がヒットした。
ソニーはかなり厳しい!!
個人的にリアルなことなので(欧米の5月9日付け記事「ロイヤル・オペラ・ハウス・コベント・ガーデン」でしかないの面白させた場所や機会で数多く主催する。
まぁ、そうな枠に普及さが興味深い!!
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
August 21, 2008
[時事]
着眼点は良いけれど微妙なところでビジネスセンスが悪い話
日経トレンディネットの8月21日付け記事「ソニー、英国オペラのデジタル映像を映画館へ配給、11月から」が興味深い。
これは、「ソニーが手がける舞台芸術などのデジタルシネマ化サービス『Livespire』の新コンテンツ」と説明されており、Livespireで検索してみると、同社の5月9日付けプレスリリース「映画館向け コンテンツ製作・配給事業“Livespire(ライブスパイア)”本格始動」がヒットした。
普段、限られた場所や機会でしか体験できない「ライブ」を、良質な映像として記録することで、より多くの人が手軽に追体験できるのは素晴らしいアイディアだと思う。
しかし、その料金設定が例えば今回のオペラ作品の場合は「当日窓口券で3000円を予定」ということで、一般のロードショー公開映画よりも破格に高いのが気になる。
イマドキの一般的なロードショー公開映画のチケット価格は大人料金が1800円だ。個人的な感覚としては、この1800円でもかなり高いと思っているぐらいなので(欧米の映画館料金システムと相対的に比較すれば上限で1000円ぐらいが妥当と思われる)、いくら貴重なライブ映像だからと言われても、実質は単にオペラを収録しただけの映画でしかないものに対して3000円を出すのはかなり厳しい。
もし、ソニーが社会的貢献の意味も含めて取り組む文化事業の一環としてこの「Livespire」を行うつもりであるのなら、せめて普通の映画と同等程度の価格設定にすべきだし、そうやってオペラの面白さを幅広い層に普及させた上で、その後にリアルなオペラ興行を日本で数多く主催するのがカッコイイのであって、それでこそ文化事業だと思う。まぁ、景気拡大が終わったと言われる今の日本において、一企業にそこまで求めるのは無理なことなのかもしれないけれど…。
ここ数年、「ライブ」という手法は、コンテンツのような枠に収まりきらない生ならではのパワーが多くの人々に歓迎されており、エンタテインメントビジネスの世界で大きく再評価されている。それだけに、Livespireの着眼点はいわゆる世間が期待するような「ソニー」っぽさがあって面白いのに、ビジネスモデルの落とし所がスッキリしないのは、根本的な経営センスの問題なのだろうか?
ともかく、3000円という価格設定では、あまり流行らないまま気がついたら事業を取りやめてましたというありがちなオチになりそうな気がして仕方がない。
PS. はてブのコメントで、リアルなオペラ鑑賞に必要とされるコストを考慮すべきという指摘をいただいた。確かに、日本国内で普通にオペラを観ようとすれば高額なチケット代を支払うことになる(有名海外オペラハウスの日本公演になるとS席あたりは軽く5万円超とか)。したがって3000円でオペラを疑似体験できるのはバーゲンだと見る向きもあるだろう。しかし一方で、オペラのライブ収録CD/DVDの多くは他のCD/DVD製品と競合できるような価格設定であることを考えれば、独自収録されたオペラ映像といえども、「映画」というフォーマットで鑑賞する限りは他の映画料金と比較するのが一般的なコンシューマーの金銭感覚であろうし、そこで何割増しにも高い価格を正当化するだけの付加価値を見いだすのは難しいような気がする。
ソニーは11月から、英国で公演されたオペラのデジタル映像化作品を全国の映画館に配給する。独立系のオペラハウスとして著名な「グラインドボーン音楽祭」とロンドンの代表的オペラハウス「ロイヤル・オペラ・ハウス・コベント・ガーデン」で公演された作品を配給する。
これは、「ソニーが手がける舞台芸術などのデジタルシネマ化サービス『Livespire』の新コンテンツ」と説明されており、Livespireで検索してみると、同社の5月9日付けプレスリリース「映画館向け コンテンツ製作・配給事業“Livespire(ライブスパイア)”本格始動」がヒットした。
“Livespire”は、「ライブイベント」を意味する“Live”と「鼓舞する・刺激する」を意味する“Inspire”を組み合わせた造語で、「ライブイベントが与える感動・刺激・快感を楽しむ」という意味を込めた、新しい映像エンタテインメントを提供するサービスです。
普段、限られた場所や機会でしか体験できない「ライブ」を、良質な映像として記録することで、より多くの人が手軽に追体験できるのは素晴らしいアイディアだと思う。
しかし、その料金設定が例えば今回のオペラ作品の場合は「当日窓口券で3000円を予定」ということで、一般のロードショー公開映画よりも破格に高いのが気になる。
イマドキの一般的なロードショー公開映画のチケット価格は大人料金が1800円だ。個人的な感覚としては、この1800円でもかなり高いと思っているぐらいなので(欧米の映画館料金システムと相対的に比較すれば上限で1000円ぐらいが妥当と思われる)、いくら貴重なライブ映像だからと言われても、実質は単にオペラを収録しただけの映画でしかないものに対して3000円を出すのはかなり厳しい。
もし、ソニーが社会的貢献の意味も含めて取り組む文化事業の一環としてこの「Livespire」を行うつもりであるのなら、せめて普通の映画と同等程度の価格設定にすべきだし、そうやってオペラの面白さを幅広い層に普及させた上で、その後にリアルなオペラ興行を日本で数多く主催するのがカッコイイのであって、それでこそ文化事業だと思う。まぁ、景気拡大が終わったと言われる今の日本において、一企業にそこまで求めるのは無理なことなのかもしれないけれど…。
ここ数年、「ライブ」という手法は、コンテンツのような枠に収まりきらない生ならではのパワーが多くの人々に歓迎されており、エンタテインメントビジネスの世界で大きく再評価されている。それだけに、Livespireの着眼点はいわゆる世間が期待するような「ソニー」っぽさがあって面白いのに、ビジネスモデルの落とし所がスッキリしないのは、根本的な経営センスの問題なのだろうか?
ともかく、3000円という価格設定では、あまり流行らないまま気がついたら事業を取りやめてましたというありがちなオチになりそうな気がして仕方がない。
PS. はてブのコメントで、リアルなオペラ鑑賞に必要とされるコストを考慮すべきという指摘をいただいた。確かに、日本国内で普通にオペラを観ようとすれば高額なチケット代を支払うことになる(有名海外オペラハウスの日本公演になるとS席あたりは軽く5万円超とか)。したがって3000円でオペラを疑似体験できるのはバーゲンだと見る向きもあるだろう。しかし一方で、オペラのライブ収録CD/DVDの多くは他のCD/DVD製品と競合できるような価格設定であることを考えれば、独自収録されたオペラ映像といえども、「映画」というフォーマットで鑑賞する限りは他の映画料金と比較するのが一般的なコンシューマーの金銭感覚であろうし、そこで何割増しにも高い価格を正当化するだけの付加価値を見いだすのは難しいような気がする。
違法でもタダの方がウレシイ?
楽器関連の話題が豊富なブログサイト「Music Thing」の管理人Tom Whitwell氏のTwitterにおけるコメント経由で、Wired発起人でもあるKevin Kelly氏のブログ「The Technium」の8月19日付けエントリー「Why People Pirate Stuff」、そしてそのネタ元となったゲーム開発者Cliff Harris氏による文章「Talking To 'Pirates'」を読む。
Harris氏は、自分のブログで「Why do people pirate my games?(なぜ人々は私が作り販売するPCゲームを違法コピーで手に入れるのか)」という問いかけをすると共に、そのブログエントリーをSlashdot等のフォーラムへ投げかけ、またそこから多数のオンラインニュース等に記事として取り上げられたようだ。その結果、非常に多くの回答がユーザーから得られたという。
回答から、人々が違法コピーを手にする理由は以下のようなパターンに分類されるようだ:
この結果、Harris氏は1番目の理由以外に対しては、真摯な姿勢で臨みビジネスモデルの改善を決意。早くも既発ゲームの価格を従来の半額にすると共にDRMの廃止を実行したという。
そのようなHarris氏の決断に対して、Kelly氏は、今後ゲームの売上にどのような影響が出るのか注目したいとしている。
自分が興味深いと思うのは、ここではPCゲームという一つのコンテンツプラットフォームだけが話題になっているけれど、実はこの話、今やPCゲームに限らず他の全てのデジタルコンテンツ、さらにはもしかするとデジタル化されていないアナログなコンテンツにも当てはまる事象だということ。例えば、音楽ソフトでも低価格化やDRMフリー化が進んでいる。
しかし、低価格化とDRMフリー化、そして、流通や購入決済システムの簡便化を図ったとしても、それだけで全てのコンテンツの違法コピー共有問題は解決できないだろうと思う。たぶん、それ以上の何か、あえて言えば、個人が抱く「社会性」みたいなものをどうにかしなければならないような気がしなくもない。ただ、それは色々と難しいのだろうなと感じるのは、自分が悲観的すぎるのかな…。
PS. はてブ経由でコメントをいただいたのだけど、自分の書き方が拙かったことを反省中。今回の話のポイントは、正規に流通して簡単に入手できるはずの現行製品(PCゲーム)が、不正コピーされてしまうのはなぜかということなので、既に入手困難なもの(欠品、廃盤、製造中止、etc.)についてはまた別の議論が必要と思われます。まぁ、根っ子にある問題は色々とかぶっている部分もあるのでしょうが…。
PPS. 日経の記事「PSP好調を蝕む「パンドラバッテリー」の猛威」を読む。海賊版ゲームの現状を知りかなり驚いた…。
Harris氏は、自分のブログで「Why do people pirate my games?(なぜ人々は私が作り販売するPCゲームを違法コピーで手に入れるのか)」という問いかけをすると共に、そのブログエントリーをSlashdot等のフォーラムへ投げかけ、またそこから多数のオンラインニュース等に記事として取り上げられたようだ。その結果、非常に多くの回答がユーザーから得られたという。
回答から、人々が違法コピーを手にする理由は以下のようなパターンに分類されるようだ:
1)The semi-political ones(一見政治的だが実は単なるいいがかり、いわゆる「中二病」「ダウンロード厨」的なものか…)
2)Money(値段が高すぎる)
3)Game Quality(ゲームの内容やグラフィックがショボイ)
4)DRM(コピープロテクトがウザイ)
5)Digital Distribution(購入するための手間が面倒)
この結果、Harris氏は1番目の理由以外に対しては、真摯な姿勢で臨みビジネスモデルの改善を決意。早くも既発ゲームの価格を従来の半額にすると共にDRMの廃止を実行したという。
そのようなHarris氏の決断に対して、Kelly氏は、今後ゲームの売上にどのような影響が出るのか注目したいとしている。
自分が興味深いと思うのは、ここではPCゲームという一つのコンテンツプラットフォームだけが話題になっているけれど、実はこの話、今やPCゲームに限らず他の全てのデジタルコンテンツ、さらにはもしかするとデジタル化されていないアナログなコンテンツにも当てはまる事象だということ。例えば、音楽ソフトでも低価格化やDRMフリー化が進んでいる。
しかし、低価格化とDRMフリー化、そして、流通や購入決済システムの簡便化を図ったとしても、それだけで全てのコンテンツの違法コピー共有問題は解決できないだろうと思う。たぶん、それ以上の何か、あえて言えば、個人が抱く「社会性」みたいなものをどうにかしなければならないような気がしなくもない。ただ、それは色々と難しいのだろうなと感じるのは、自分が悲観的すぎるのかな…。
PS. はてブ経由でコメントをいただいたのだけど、自分の書き方が拙かったことを反省中。今回の話のポイントは、正規に流通して簡単に入手できるはずの現行製品(PCゲーム)が、不正コピーされてしまうのはなぜかということなので、既に入手困難なもの(欠品、廃盤、製造中止、etc.)についてはまた別の議論が必要と思われます。まぁ、根っ子にある問題は色々とかぶっている部分もあるのでしょうが…。
PPS. 日経の記事「PSP好調を蝕む「パンドラバッテリー」の猛威」を読む。海賊版ゲームの現状を知りかなり驚いた…。
August 20, 2008
これだからAppleは…
オレは68K時代からずっと生粋のマカーなんだけど、今回のAppleの対応はかなり疑問。
ま、そのほかにも色々報道されているとは思うけれど、とにかく驚くのは「なおアップルでは、現在のところ対象製品の無償修理・交換などは行っておらず、同様の過熱・焼損事例が発生した後に修理を受け付けるとしている」(BCNランキング)という態度であること。
これが果たして米Apple本社からの指令なのか、それとも日本の代理店独自の対応姿勢なのかは定かじゃないけれど、こういう感じが続くようだと、今後Apple製品はあまり積極的に使いたくないなと思う。ま、こういう嫌なニュアンスって、実はこの会社には昔から度々あった。で、そろそろそういう嫌な気分までして無理して付き合うこともないのかなという感があるのは否定できない、残念だけど…。
PS. Gizmodoの8月20日付け記事「Apple Confesses First-Gen iPod Nanos Smoking and Sparking, Will Replace Them」で興味深いことが書かれていたのでクリップしておく:
つまり、日本政府による公式な苦情があるまで、Appleはこの事態を無視し続けていたということなのかな…。
PPS. Appleがプレスリリースとして「第1世代 iPod nano バッテリー問題について」を発表。製品に問題があったことを公式に認めると共に、交換基準をやや緩くしたようだ。それにしても、「これまで、重大な人的被害や物的損害は報告されておらず、また他のiPod nanoのモデルについてはこうした報告はまったく受けていません」という文言を掲載する辺りは、米国本社から英語で通達された内容をそのまま翻訳してアップしただけっぽい。日本市場における顧客対応のあり方としては、かなり程度が低い感じ。相変わらず日本の体制は昔ながらの輸入代理店商売ってことなのかな…。
PPPS. 「他の第1世代iPod nanoをお使いのお客さまで少しでもご不安を感じられた方も、AppleCareにご連絡ください」とあったので、AppleCareのコールセンターに電話して状況を確認してみた。かなり混んでいて、電話が通じて機械音声によるナビゲーションから実際のオペレーターへつながるまでに約10分待てとアナウンスされたのは驚いた。で、延々と待たされた後に対応してくれたオペレーターは非常に落ち着いた話し方の女性で好感度が高かった。シリアルナンバーを伝えて判明したのは、自分が使っている1GBモデルでは今のところ事故が起きておらず交換対象ではないとのこと。問題の不良バッテリーを搭載しているのは2GBと4GBのモデルに限られているようだ。ま、ひとまず安心(?)。
iPodナノ充電で過熱、最高2百度 17件2人やけど(朝日)
「iPod nano」充電中に出火3件、やけど事故も(読売)
iPod nanoで火災事故が3件、火傷が2件--経済産業省が注意喚起(毎日)
iPodナノで17件の事故、2人が軽いやけど 経産省(日経)
iPod過熱で火災2件 原因特定できず回収はせず(産経)
Pod nano充電中事故が17件に やけどのユーザーも(ITmedia)
iPod nanoで火災事故が3件、火傷が2件--経済産業省が注意喚起(CNET Japan)
経産省、iPodの加熱・損傷事故で注意喚起、対象は初代「nano」4モデル(BCNランキング)
ま、そのほかにも色々報道されているとは思うけれど、とにかく驚くのは「なおアップルでは、現在のところ対象製品の無償修理・交換などは行っておらず、同様の過熱・焼損事例が発生した後に修理を受け付けるとしている」(BCNランキング)という態度であること。
これが果たして米Apple本社からの指令なのか、それとも日本の代理店独自の対応姿勢なのかは定かじゃないけれど、こういう感じが続くようだと、今後Apple製品はあまり積極的に使いたくないなと思う。ま、こういう嫌なニュアンスって、実はこの会社には昔から度々あった。で、そろそろそういう嫌な気分までして無理して付き合うこともないのかなという感があるのは否定できない、残念だけど…。
PS. Gizmodoの8月20日付け記事「Apple Confesses First-Gen iPod Nanos Smoking and Sparking, Will Replace Them」で興味深いことが書かれていたのでクリップしておく:
There's a big question here though: If Japanese officials hadn't gotten involved, would they have made this announcement? I don't think so, even though it's not like exploding iPod nanos are an undocumented phenomenon.
つまり、日本政府による公式な苦情があるまで、Appleはこの事態を無視し続けていたということなのかな…。
PPS. Appleがプレスリリースとして「第1世代 iPod nano バッテリー問題について」を発表。製品に問題があったことを公式に認めると共に、交換基準をやや緩くしたようだ。それにしても、「これまで、重大な人的被害や物的損害は報告されておらず、また他のiPod nanoのモデルについてはこうした報告はまったく受けていません」という文言を掲載する辺りは、米国本社から英語で通達された内容をそのまま翻訳してアップしただけっぽい。日本市場における顧客対応のあり方としては、かなり程度が低い感じ。相変わらず日本の体制は昔ながらの輸入代理店商売ってことなのかな…。
PPPS. 「他の第1世代iPod nanoをお使いのお客さまで少しでもご不安を感じられた方も、AppleCareにご連絡ください」とあったので、AppleCareのコールセンターに電話して状況を確認してみた。かなり混んでいて、電話が通じて機械音声によるナビゲーションから実際のオペレーターへつながるまでに約10分待てとアナウンスされたのは驚いた。で、延々と待たされた後に対応してくれたオペレーターは非常に落ち着いた話し方の女性で好感度が高かった。シリアルナンバーを伝えて判明したのは、自分が使っている1GBモデルでは今のところ事故が起きておらず交換対象ではないとのこと。問題の不良バッテリーを搭載しているのは2GBと4GBのモデルに限られているようだ。ま、ひとまず安心(?)。
August 16, 2008
[マンガ・本]
速見健朗「ケータイ小説的。」を読んだ
勝手に今年の私的「夏休み課題図書(笑)」に指定して読了。
この本を読んでみて判ったことは、「ケータイ小説」というジャンル自体は、別に21世紀に生まれた全く新しい文学の流派でも何でもなくて、割と昔からある少女向け娯楽文学作品の現代的発展版なんだなということ。
面白かったのは、ここ近年のケータイ小説のヒット作の多くが、「浜崎あゆみ」の歌(歌詞の内容)を深く知らなければ、深い共感を得られない構造になっているという分析。これに似た傾向は、アメリカのジェネレーションX(いまとなっては懐かしい…)系作家の作品にもよく見られたような気がする。特にブレット・イーストン・エリスはヒット曲の歌詞などを伏線にして物語を書いていた印象が強い。例えば、彼の「ルールズ・オブ・アトラクション」では、登場人物の一人の名前がアリソンで、彼女がエルビス・コステロの「アリソン」をはなうたで歌ったりするのだけど、読者がアリソンという曲の歌詞を知っているか知らないかで、その印象は大きく変わったはずだ。そういう流行歌の引用の仕方をするという意味で、ケータイ小説はなんだか「今っぽい」ような気がしたりした。
また、ここ近年の若者はフィクションでは感情移入できないので「実話」を求めるという話には非常に興味を覚えた。現実にはありえない、正にウソのような話でも、そこに「本当にあった話」と枕詞が付いていれば感動できる反面、作り話と判っていると、どんなに精緻なストーリーでも感情移入できずつまらないということらしい。ちょっと論理が飛躍してしまうけれど、この「実話」を求める傾向の裏返しが、mixiなどで自分の犯罪的な行為を平気で吹聴する人達の正体なのかもしれないなと思う。たぶん、本当にやったことだから、誰かに伝えられずにはいられないのだろう。まさに「リアル」を共有したい訳だ。
さて、本書の著者は、「ヤンキー」という文化は、社会から認められず批評もされない「被差別文化」だという視点で語っているけれど、ヤンキーな当事者にとってヤンキーであることは、そのまま「生きる」ことであって、「文化」という感覚は皆無なんだろうと思う。
子供の頃、関西に住んでいて、初めてヤンキーという言葉を認識したのは、怖いお兄さんたちの間で女性もののサンダルを履くのが流行った時だ。そういうのを「ヤンキー」と称するらしいと、誰かから教えられた訳でもなく、なんとなく悟ったことがあった。
自分は前にも書いたけれど、ネイティブな文化を持たずに子供時代を過ごしたために、こういう地域に根ざしたサブカルチャー的なものに対して、非常に疎く、最後まで判らないものもたくさんあった。
いわゆる学生服を変形させるという行為も、外部から観察すれば正に「文化」の一つに分類されるのだろうけれど、あれが何であったのかはその渦中で過ごしながら全然理解できなかった。あとから東京へ出てきて、妙な太いズボンのことを「ぼんたん」と称する場合もあることを知って驚いたが、あれを関西の一部(具体的には南河内付近)でどう呼称するのかは最後まで判然としなかった。何度も何度も、自分の耳で聞いていながら、どうしてもそれを言語として認識できなかった。また、相手に何と言っているのかをたずねるという行為自体が相手を軽蔑することになりそうに感じて怖くてできなかった。(実に一度など勇気を出してたずねてみたが、やはり相手が何と言っているのか皆目判らなかった…)
あの何と発音するのか不明で不気味な形をした学生ズボンは、確かにヤンキーじゃない外部の人間から見れば、ヤンキーという文化の一端だったのだろうけれど、当事者にとってはそれを履くことが当たり前のことであり、それは生きているという行為そのものだったように思える。ほかにも、薄っぺらな鞄の中にはドスしか入ってないという事態にも遭遇したけれど、その本人に気負うものは何もなくて、よくある生活の一部という感じでしかなかった。
う〜ん、話がなんだか訳の判らない方に流れてしまって収集がつかないな。眠たくなってきたし、ま、夏休みの読書感想文にありがちな脱線ということで(笑)。
ケータイ小説的。 "再ヤンキー化"時代の少女たち 速水健朗 原書房 2008/06/09 浜崎あゆみ、NANA、郊外型ショッピングモール、携帯メール…。彼女たちの物語はどこから生まれたのか? コミュニケーションという地獄を生きる少女たちの文化と生態を、ケータイ小説から読み解く。 |
この本を読んでみて判ったことは、「ケータイ小説」というジャンル自体は、別に21世紀に生まれた全く新しい文学の流派でも何でもなくて、割と昔からある少女向け娯楽文学作品の現代的発展版なんだなということ。
面白かったのは、ここ近年のケータイ小説のヒット作の多くが、「浜崎あゆみ」の歌(歌詞の内容)を深く知らなければ、深い共感を得られない構造になっているという分析。これに似た傾向は、アメリカのジェネレーションX(いまとなっては懐かしい…)系作家の作品にもよく見られたような気がする。特にブレット・イーストン・エリスはヒット曲の歌詞などを伏線にして物語を書いていた印象が強い。例えば、彼の「ルールズ・オブ・アトラクション」では、登場人物の一人の名前がアリソンで、彼女がエルビス・コステロの「アリソン」をはなうたで歌ったりするのだけど、読者がアリソンという曲の歌詞を知っているか知らないかで、その印象は大きく変わったはずだ。そういう流行歌の引用の仕方をするという意味で、ケータイ小説はなんだか「今っぽい」ような気がしたりした。
また、ここ近年の若者はフィクションでは感情移入できないので「実話」を求めるという話には非常に興味を覚えた。現実にはありえない、正にウソのような話でも、そこに「本当にあった話」と枕詞が付いていれば感動できる反面、作り話と判っていると、どんなに精緻なストーリーでも感情移入できずつまらないということらしい。ちょっと論理が飛躍してしまうけれど、この「実話」を求める傾向の裏返しが、mixiなどで自分の犯罪的な行為を平気で吹聴する人達の正体なのかもしれないなと思う。たぶん、本当にやったことだから、誰かに伝えられずにはいられないのだろう。まさに「リアル」を共有したい訳だ。
さて、本書の著者は、「ヤンキー」という文化は、社会から認められず批評もされない「被差別文化」だという視点で語っているけれど、ヤンキーな当事者にとってヤンキーであることは、そのまま「生きる」ことであって、「文化」という感覚は皆無なんだろうと思う。
子供の頃、関西に住んでいて、初めてヤンキーという言葉を認識したのは、怖いお兄さんたちの間で女性もののサンダルを履くのが流行った時だ。そういうのを「ヤンキー」と称するらしいと、誰かから教えられた訳でもなく、なんとなく悟ったことがあった。
自分は前にも書いたけれど、ネイティブな文化を持たずに子供時代を過ごしたために、こういう地域に根ざしたサブカルチャー的なものに対して、非常に疎く、最後まで判らないものもたくさんあった。
いわゆる学生服を変形させるという行為も、外部から観察すれば正に「文化」の一つに分類されるのだろうけれど、あれが何であったのかはその渦中で過ごしながら全然理解できなかった。あとから東京へ出てきて、妙な太いズボンのことを「ぼんたん」と称する場合もあることを知って驚いたが、あれを関西の一部(具体的には南河内付近)でどう呼称するのかは最後まで判然としなかった。何度も何度も、自分の耳で聞いていながら、どうしてもそれを言語として認識できなかった。また、相手に何と言っているのかをたずねるという行為自体が相手を軽蔑することになりそうに感じて怖くてできなかった。(実に一度など勇気を出してたずねてみたが、やはり相手が何と言っているのか皆目判らなかった…)
あの何と発音するのか不明で不気味な形をした学生ズボンは、確かにヤンキーじゃない外部の人間から見れば、ヤンキーという文化の一端だったのだろうけれど、当事者にとってはそれを履くことが当たり前のことであり、それは生きているという行為そのものだったように思える。ほかにも、薄っぺらな鞄の中にはドスしか入ってないという事態にも遭遇したけれど、その本人に気負うものは何もなくて、よくある生活の一部という感じでしかなかった。
う〜ん、話がなんだか訳の判らない方に流れてしまって収集がつかないな。眠たくなってきたし、ま、夏休みの読書感想文にありがちな脱線ということで(笑)。
August 15, 2008
iPhone/iPod touch用のファイル管理ソフトはどれがベストなのか?(BlogPet)
wmsの「iPhone/iPod touch用のファイル管理ソフトはどれがベストなのか?」のまねしてかいてみるね
ネット上でiPhone/iPodtouchを含めてくれないものか存在するらしい。
このを含めてくれないものか存在するらしい!
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
ネット上でiPhone/iPodtouchを含めてくれないものか存在するらしい。
このを含めてくれないものか存在するらしい!
*このエントリは、ブログペットの「わんこ」が書きました。
August 14, 2008
[ガラクタ]
iPhone/iPod touch用のファイル管理ソフトはどれがベストなのか?
ネット上で話題のiPhone/iPod touch用ファイル管理ソフト「DataCase」が気になる。このアプリを使えば、MacおよびWindows環境からWiFi接続(無線LAN経由もしくはアドホックモード)でiPhone/iPod touchをネットストレージとして利用できるようになる。
しかし、実は他にも類似ソフトがいくつか存在するらしい。DataCaseが話題なのは下馬評によると、どうやら同アプリの開発メーカーが他社よりも上手に宣伝しているからということらしい。
TUAW(The Unofficial Apple Weblog)の8月12日付けレビュー記事「TUAW Review: DataCase for iPhone」に寄せられた読者のコメントによると、現時点ではDataCaseを含めて以下の7製品があるとのこと:
それぞれのアプリの特徴やコストパフォーマンス等が判るとうれしいのだけど、どこかのサイトで比較調査をやってくれないものかな? いくら安いソフトとはいえ、自分で全部買って試すのはちょっとね…。
PS. 「iPhone.Walker」さんの8月14日付けエントリー「iPhoneをワイヤレスドライブとして使えるアプリDataCase」によると、「類似アプリとしては、FileMagnet、Filesがあるが、DataCaseの特徴はFTP経由でファイルの転送を行うため、PC/Mac側に特別なソフトは必要なく、FTP機能さえあれば、OSも選ばない汎用性である」とのこと。なるほど、これはかなり重要なポイントかも。あとは、Mac環境だとBonjourによって一発で接続できるのがDataCaseの強みかな(BonjourはWindowsでも別途インストール可能)。
しかし、実は他にも類似ソフトがいくつか存在するらしい。DataCaseが話題なのは下馬評によると、どうやら同アプリの開発メーカーが他社よりも上手に宣伝しているからということらしい。
TUAW(The Unofficial Apple Weblog)の8月12日付けレビュー記事「TUAW Review: DataCase for iPhone」に寄せられた読者のコメントによると、現時点ではDataCaseを含めて以下の7製品があるとのこと:
8-12-2008 @ 9:04AM
aleenm88 said...
I have been searching the entire app store for apps like this:
-Files
-Caravan
-File Magnet
-Regal Media
-ReaddleDocs
-Mobile Finder
-DataCase
それぞれのアプリの特徴やコストパフォーマンス等が判るとうれしいのだけど、どこかのサイトで比較調査をやってくれないものかな? いくら安いソフトとはいえ、自分で全部買って試すのはちょっとね…。
PS. 「iPhone.Walker」さんの8月14日付けエントリー「iPhoneをワイヤレスドライブとして使えるアプリDataCase」によると、「類似アプリとしては、FileMagnet、Filesがあるが、DataCaseの特徴はFTP経由でファイルの転送を行うため、PC/Mac側に特別なソフトは必要なく、FTP機能さえあれば、OSも選ばない汎用性である」とのこと。なるほど、これはかなり重要なポイントかも。あとは、Mac環境だとBonjourによって一発で接続できるのがDataCaseの強みかな(BonjourはWindowsでも別途インストール可能)。
August 13, 2008
どうでもいい話:何人たりとも完全無欠の正義ではありえない
ダメなメディアがあるのなら、その情報を利用しなければ良いだけだと思うのだけど、それじゃ足りないのだろうか?
どこかで意図せずして、「正義」という名の集団ヒステリーに変質しているとしたら、それはちょっと恐ろしい。
自分の信じていることが常に100パーセント正しいことはありえないと思う。どこかで、「今自分がしていることは一体どうなんだろう?」と疑問に思う必要がある。そうしないと、自らが非を唱えて叩いているはずの相手と同じ過ちに陥ることになるから。
もっとも、そんな自分に自信がないようなことを言っていると、今の社会では勝てないし、サバイブできそうにないから、どうでもいい話なのかもしれない。自分が100パーセント正しいだけじゃ、全然足りないぐらいの世の中だものね(笑)。
どこかで意図せずして、「正義」という名の集団ヒステリーに変質しているとしたら、それはちょっと恐ろしい。
自分の信じていることが常に100パーセント正しいことはありえないと思う。どこかで、「今自分がしていることは一体どうなんだろう?」と疑問に思う必要がある。そうしないと、自らが非を唱えて叩いているはずの相手と同じ過ちに陥ることになるから。
もっとも、そんな自分に自信がないようなことを言っていると、今の社会では勝てないし、サバイブできそうにないから、どうでもいい話なのかもしれない。自分が100パーセント正しいだけじゃ、全然足りないぐらいの世の中だものね(笑)。
August 12, 2008
[時事]
嗚呼、オリンピック…
遠い昔に観たテレビドラマで、たぶん札幌オリンピックを題材にしたものだったと思うけれど、開会式を演出することになった男が、リハーサルで子供が上手く動いてくれず何度も失敗するため、本番でも失敗するのではないかという悪夢に苛まされる話があった。
で、The Inquisitrの8月12日付け記事で「Not only were the Olympic Fireworks fake, so was the 7 year old singer」というすっぱ抜きが紹介されていた。
北京オリンピック開会式の演出家も、きっと開会式前に「失敗」という悪夢に悩まされたろうとは思うけれど、事後に色々とこういうネタバレしてしまうのはどういう気分なんだろう?
PS. Gizmodoの8月11日付け記事「Blue Screen of Death Strikes Bird's Nest During Opening Ceremonies Torch Lighting」によると、開会式のイルミネーションでWindowsのエラーメッセージが大々的に表示されたらしい。これが一番痛いな(笑)。
で、The Inquisitrの8月12日付け記事で「Not only were the Olympic Fireworks fake, so was the 7 year old singer」というすっぱ抜きが紹介されていた。
北京オリンピック開会式の演出家も、きっと開会式前に「失敗」という悪夢に悩まされたろうとは思うけれど、事後に色々とこういうネタバレしてしまうのはどういう気分なんだろう?
PS. Gizmodoの8月11日付け記事「Blue Screen of Death Strikes Bird's Nest During Opening Ceremonies Torch Lighting」によると、開会式のイルミネーションでWindowsのエラーメッセージが大々的に表示されたらしい。これが一番痛いな(笑)。
August 08, 2008
UGCの現在地:MikuMikuDance作品における一つの頂点
また、MikuMikuDance(とRinRinDance)を起用したアニメで注目すべき作品が登場した。
・【初音ミク・鏡音リン】 3人がバンドを結成したようです 【はちゅね】
これはビックリ。ここまでやるかという作り込み。特にキーボード等の小道具のディテールがマニアックで素晴らしすぎる。ま、単なるEL&P好きな年寄り世代向けのおっさんホイホイでしかないという話もありそうだけど(笑)。
また、照明やリンの投げキッスの演出手法にアイマスの影響が見られるのは、とてもニコ動っぽくて興味深い。
ともかく、ボーカロイド音楽ビデオ作品の歴史の中で、一つの頂点を極めた作品と評しても過言ではないと思う。
惜しむらくは、歌詞においてもっと無駄に難解で哲学的かつ意味不明な言葉を多用するなど、往年のプログレ楽曲はかくありきみたいな演出があれば、さらに作品としての幅が広がったのかもしれないけれど、それはファンとしてちょっと求めすぎなのかもしれない…。
当ブログでのMikuMikuDance関連エントリー
・UGCの現在地:どんどんリアルな動きを見せるMikuMikuDance作品
・UGCの現在地:MikuMikuDanceで影絵アニメ
・UGCの現在地:これはなにげにかなりスゴイ
・巨人の星を越えた? 初音ミクの野球アニメが登場
・UGCの現在地:MikuMikuDanceだとこの辺りまで来た
・【初音ミク・鏡音リン】 3人がバンドを結成したようです 【はちゅね】
これはビックリ。ここまでやるかという作り込み。特にキーボード等の小道具のディテールがマニアックで素晴らしすぎる。ま、単なるEL&P好きな年寄り世代向けのおっさんホイホイでしかないという話もありそうだけど(笑)。
また、照明やリンの投げキッスの演出手法にアイマスの影響が見られるのは、とてもニコ動っぽくて興味深い。
ともかく、ボーカロイド音楽ビデオ作品の歴史の中で、一つの頂点を極めた作品と評しても過言ではないと思う。
惜しむらくは、歌詞においてもっと無駄に難解で哲学的かつ意味不明な言葉を多用するなど、往年のプログレ楽曲はかくありきみたいな演出があれば、さらに作品としての幅が広がったのかもしれないけれど、それはファンとしてちょっと求めすぎなのかもしれない…。
恐怖の頭脳改革(K2HD紙ジャケット仕様) エマーソン・レイク&パーマー ビクターエンタテインメント 2005/09/28 プログレッシヴ・ロックの頂点に輝く名盤中の名盤と言える5thアルバム(73年発表)。LPレコード発売当時の特殊ジャケットを再現した紙ジャケット仕様。 |
当ブログでのMikuMikuDance関連エントリー
・UGCの現在地:どんどんリアルな動きを見せるMikuMikuDance作品
・UGCの現在地:MikuMikuDanceで影絵アニメ
・UGCの現在地:これはなにげにかなりスゴイ
・巨人の星を越えた? 初音ミクの野球アニメが登場
・UGCの現在地:MikuMikuDanceだとこの辺りまで来た
残暑お見舞い申し上げます
暑い。完全な夏バテ状態で、何もやる気がしない。暦の上では立秋を過ぎたとはいえ、暑さはこれからが本番。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
で、あまり深い意味はないけれど、なんとなく自分的に気持ち良い写真を1枚。
これ、Boing Boing Gadgetsの7月21日付け記事「Sweet Dreams」経由、ISO50の7月16日付けエントリー「Funki Porcini」で紹介されていた写真で、Funki Porciniのアルバム「Fast Asleep」に採用されたもの。ISO50のページへ飛んで写真をクリックするとかなり大きな画像を見ることができ、楽器や機材のディテールを楽しめるほか、ネコ探しも可能(笑)。あと、同じISO50のページ上で試聴できる「Dubble」という曲も気持ち良くて、こちらの曲はださいジャケの「Hed Phone Sex」に収録されているらしい。
で、あまり深い意味はないけれど、なんとなく自分的に気持ち良い写真を1枚。
これ、Boing Boing Gadgetsの7月21日付け記事「Sweet Dreams」経由、ISO50の7月16日付けエントリー「Funki Porcini」で紹介されていた写真で、Funki Porciniのアルバム「Fast Asleep」に採用されたもの。ISO50のページへ飛んで写真をクリックするとかなり大きな画像を見ることができ、楽器や機材のディテールを楽しめるほか、ネコ探しも可能(笑)。あと、同じISO50のページ上で試聴できる「Dubble」という曲も気持ち良くて、こちらの曲はださいジャケの「Hed Phone Sex」に収録されているらしい。
Hed Phone Sex Funki Porcini Ninja Tune 2003/09/23 |
August 06, 2008
遂にSony BMGの合弁解消が決定
Billboard.bizの8月5日付け記事「Bertelsmann Exits Sony BMG」によると、正式にSony BMGの合弁解消が決定した模様。
同記事で気になるのは以下の部分:
つまり、ソニー1社による統合が果たして、米国および欧州において独禁法などに抵触することなく認められるかどうかが争点となりそうな感じ。
ま、しばらくこのネタは色々と話題になりそう…。
ちなみに、CNET Japanが素早く反応していて驚いたけど、元ソースぐらいは明記して欲しかったかも…>「ソニー、音楽会社のソニーBMGを600億円で完全子会社化」
PS. 今回の件で一番トホホと思っているのは日本のBMGの洋楽部隊のような…。
PPS. 今回の話はもとをただせば、合弁契約が8月で終了するのをきっかけにしたことなので、旧BMGスタッフが実務面を担当するのも8月いっぱいなのだろうか? だとすると、これにより日本国内でのBMG洋楽音源の管理がどこに任されるのかが気になるところ。結果的に、最初に大きな影響が出るのはストーンズのユニバーサル移籍と同じようにiTunes Storeだと思われる。これまでのように日本だけSMEとBMGで管轄が別という状況は廃止される可能性が高いだろうから、iTunes Storeで買えなくなる音源が機械的に増えると推測される。で、BMGの邦楽部門は別社名になってSMEとは関係ないまま存続という形になるのかな?
当ブログでの関連エントリー
・Sony BMG、ご破算がいよいよ決定?
・Sony BMG、ご破算の可能性?
同記事で気になるのは以下の部分:
The buy-out remains subject to regulatory approval in certain jurisdictions. U.S. and European regulators could raise concerns about vertical integration at Sony, as the company's hardware business includes a joint venture with handset giant Ericsson for Walkman music-enabled mobile devices.
つまり、ソニー1社による統合が果たして、米国および欧州において独禁法などに抵触することなく認められるかどうかが争点となりそうな感じ。
ま、しばらくこのネタは色々と話題になりそう…。
ちなみに、CNET Japanが素早く反応していて驚いたけど、元ソースぐらいは明記して欲しかったかも…>「ソニー、音楽会社のソニーBMGを600億円で完全子会社化」
PS. 今回の件で一番トホホと思っているのは日本のBMGの洋楽部隊のような…。
PPS. 今回の話はもとをただせば、合弁契約が8月で終了するのをきっかけにしたことなので、旧BMGスタッフが実務面を担当するのも8月いっぱいなのだろうか? だとすると、これにより日本国内でのBMG洋楽音源の管理がどこに任されるのかが気になるところ。結果的に、最初に大きな影響が出るのはストーンズのユニバーサル移籍と同じようにiTunes Storeだと思われる。これまでのように日本だけSMEとBMGで管轄が別という状況は廃止される可能性が高いだろうから、iTunes Storeで買えなくなる音源が機械的に増えると推測される。で、BMGの邦楽部門は別社名になってSMEとは関係ないまま存続という形になるのかな?
当ブログでの関連エントリー
・Sony BMG、ご破算がいよいよ決定?
・Sony BMG、ご破算の可能性?
August 05, 2008
[マンガ・本]
栗原裕一郎「<盗作>の文学史」を読んだ
出版されてからずっと気になっていた「<盗作>の文学史」をようやく読むことができた。
読んで一番印象に残ったのは、大手新聞の都合によってその取り扱いが極端に変わる事件報道のあり方だった。同じ作家が同じような行為を繰り返しても、他紙連載小説は叩きながら、自紙で連載しているときにはその事実を無視するあたり、さすがは商業メディアの真骨頂と言わざるを得ない(笑)。ある意味、メディアは「信じてはいけない」という寓話になっている。
あと、個人的には、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」にまつわる話が興味深かった。庄司薫の作品に心底熱中したのは、今では遠い中学〜高校時代だったけれど、あの口語体にはズブズブとはまり中毒となってしまい、いまだにその毒は抜けていない。さらに付け加えておけば、庄司薫に続いて、野崎訳のサリンジャーと村上春樹を読みながら、渋谷陽一の「ヤングジョッキー」をカセットに録音してリピート再生していれば、こういうダメな文章を書く小僧の出来上がり(笑)。
それにしても、「引用」という言葉に「無断」という言葉を付け加えるマジックは、なんとも恐ろしい力があるものだ…。
<盗作>の文学史 栗原裕一郎 新曜社 2008/07/01 剽窃は文化である。―ん? つくづく人間(作家)は面白い。盗作、パクリ、剽窃、無断引用、著作権侵害、作家のモラル……をめぐって繰り広げられたドタバタ(悲喜劇)を博捜し、事件としてでっち上げられる過程を冷静に考察した“盗作大全”。すべての作家、作家志望者、文学愛好家必携の書。 |
読んで一番印象に残ったのは、大手新聞の都合によってその取り扱いが極端に変わる事件報道のあり方だった。同じ作家が同じような行為を繰り返しても、他紙連載小説は叩きながら、自紙で連載しているときにはその事実を無視するあたり、さすがは商業メディアの真骨頂と言わざるを得ない(笑)。ある意味、メディアは「信じてはいけない」という寓話になっている。
あと、個人的には、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」にまつわる話が興味深かった。庄司薫の作品に心底熱中したのは、今では遠い中学〜高校時代だったけれど、あの口語体にはズブズブとはまり中毒となってしまい、いまだにその毒は抜けていない。さらに付け加えておけば、庄司薫に続いて、野崎訳のサリンジャーと村上春樹を読みながら、渋谷陽一の「ヤングジョッキー」をカセットに録音してリピート再生していれば、こういうダメな文章を書く小僧の出来上がり(笑)。
それにしても、「引用」という言葉に「無断」という言葉を付け加えるマジックは、なんとも恐ろしい力があるものだ…。
August 04, 2008
[マンガ・本]
追悼:関谷ひさし
「たけくまメモ」のコメント掲示板で「追悼・赤塚不二夫先生」の分を読んでいたら、以下のような書き込みが…
あぁ、関谷ひさしが亡くなったいたなんて全然知らなかった。Googleでニュース記事を検索してもヒットは皆無で、一部のファンの方がブログで記事を書かれているのを発見。亡くなったのは今年の2月らしい。悲しい。
自分にとっては非常に思い入れのある漫画家の一人。同氏の作品を収録した虫プロコミックス単行本の数々は大事な宝物だ。「ストップ!にいちゃん」なんて何度読み返したことだろう。全巻そろってないのが悔やまれるばかり。
今さらではありますが、謹んでご冥福をお祈りします。
27 : マルタマ 2008/08/03(日) 21:15:25 ID:j9DebSBU
今年、上田トシコさん、関谷ひさしさんも亡くなられてしまいました。
寂しい限りです…。
あぁ、関谷ひさしが亡くなったいたなんて全然知らなかった。Googleでニュース記事を検索してもヒットは皆無で、一部のファンの方がブログで記事を書かれているのを発見。亡くなったのは今年の2月らしい。悲しい。
「訃報:漫画家関谷ひさし先生は亡くなっていた」(ねみみにミミズ〜)
関谷ひさし先生死去(a.sueの日記 はてな版)
自分にとっては非常に思い入れのある漫画家の一人。同氏の作品を収録した虫プロコミックス単行本の数々は大事な宝物だ。「ストップ!にいちゃん」なんて何度読み返したことだろう。全巻そろってないのが悔やまれるばかり。
今さらではありますが、謹んでご冥福をお祈りします。
August 03, 2008
訃報:赤塚不二夫
そう言えば、「山田一郎」名義で書いたりしてたっけなぁ。アシスタントがいなくなったとか言って、超へたくそなヨレヨレの絵を書いたエピソードとか、涙ながして窒息寸前になるほど笑った。赤塚不二夫のマンガからは、子供心にニヒリズムみたいなものを学んだような気がする。あと、バカボンって、あれ、「アルジャーノンに花束を」のラディカル版だったような気がしなくもない。
それにしても、偶然とはいえ、奥さん二人が先に逝って待っているような形になってしまったのは、ちょっとやりきれないものがあるなぁ…。ご冥福をお祈りします。
それにしても、偶然とはいえ、奥さん二人が先に逝って待っているような形になってしまったのは、ちょっとやりきれないものがあるなぁ…。ご冥福をお祈りします。
アナログシンセは70年代の響き:または単なる年寄りのノスタルジー
大人の科学マガジン別冊「シンセサイザークロニクル」を購入。このムック本には、なんと付録としてアナログシンセサイザー「SX-150」が付いてくる。
で、この付録のシンセサイザー、以前に同じように付録で手に入れたテルミンよりは、だいぶに操作が簡単で、かなり楽器っぽい演奏が可能だ。とは言え、鍵盤が付いている訳ではないので、そこは勘に頼ってスライドコントローラの上で音階を探るしかない。
このちょっと制御不能な趣があるあたりは、EMSの「Synthi AKS」というモデルに似ているような気がする。AKSは鍵盤に見かけを似せたタッチパッドで操作するという、ほとんど鍵盤楽器の体をなさないインタフェースで、まさに効果音発生装置という有り様だった。まぁ、初期のアナログシンセは、仮に見かけは立派な鍵盤が付いていたとしても、キーにタッチセンスなんかは無くて実際はただのスイッチ。つまりは単なる発信器状態の上、MIDIからのコントロールも不可能だったぐらいだから、どれも大した違いは無かったのだけれど。
YouTubeにAKSを操作するビデオがあったので貼り付けておく:
・EMS Synthi AKS Jamtest2
そう言えば、ブライアン・イーノもモデルはAKSじゃないけれどEMSを愛用していて、ロキシー・ミュージックにいた頃は、ビョ〜〜という変な音で頑張っていた(笑)。「Remake/Remodel」という曲は間奏で各人が楽器のブレイクを入れるので、その変な演奏具合が判りやすい。これもYouTubeからコピペ:
・roxy music "remake/remodel"
とにかく、制御不能に紙一重なアナログシンセの暴力的音響効果というのは、70年代を通して色々なジャンルの音楽のアクセントとして、また映画の効果音として使われたものだ。今となっては単なるノイズにしか聞こえないかもしれないけれど、当時は、まさに未来から聞こえてくる不思議で魅力的な音色だったりした。
で、自分もSX-150を使って、アナログシンセ演奏の典型的なパターンの一つとして、ロッカーズスタイル・レゲエをベースにしたダブを作ってみた。こういう思わせぶりなんだけれど、でも実は何も考えてない演奏というのが、まさに70年代っぽいような…。ま、実は単なる年寄りのノスタルジーなんだけどね(笑)。
・SX-150でダブに挑戦してみた【SX-150 + GarageBand】
大人の科学マガジン別冊 シンセサイザー・クロニクル (Gakken Mook 別冊大人の科学マガジン) 大人の科学マガジン編集部 学習研究社 2008/07/30 ふろくのアナログ・シンセサイザーは、仕組みを理解しながらツマミを回して音作りを楽しむことができます。スライドコントローラを使って、楽曲の演奏もできる上に、テルミンminiと接続することもできます。 |
で、この付録のシンセサイザー、以前に同じように付録で手に入れたテルミンよりは、だいぶに操作が簡単で、かなり楽器っぽい演奏が可能だ。とは言え、鍵盤が付いている訳ではないので、そこは勘に頼ってスライドコントローラの上で音階を探るしかない。
このちょっと制御不能な趣があるあたりは、EMSの「Synthi AKS」というモデルに似ているような気がする。AKSは鍵盤に見かけを似せたタッチパッドで操作するという、ほとんど鍵盤楽器の体をなさないインタフェースで、まさに効果音発生装置という有り様だった。まぁ、初期のアナログシンセは、仮に見かけは立派な鍵盤が付いていたとしても、キーにタッチセンスなんかは無くて実際はただのスイッチ。つまりは単なる発信器状態の上、MIDIからのコントロールも不可能だったぐらいだから、どれも大した違いは無かったのだけれど。
YouTubeにAKSを操作するビデオがあったので貼り付けておく:
・EMS Synthi AKS Jamtest2
そう言えば、ブライアン・イーノもモデルはAKSじゃないけれどEMSを愛用していて、ロキシー・ミュージックにいた頃は、ビョ〜〜という変な音で頑張っていた(笑)。「Remake/Remodel」という曲は間奏で各人が楽器のブレイクを入れるので、その変な演奏具合が判りやすい。これもYouTubeからコピペ:
・roxy music "remake/remodel"
とにかく、制御不能に紙一重なアナログシンセの暴力的音響効果というのは、70年代を通して色々なジャンルの音楽のアクセントとして、また映画の効果音として使われたものだ。今となっては単なるノイズにしか聞こえないかもしれないけれど、当時は、まさに未来から聞こえてくる不思議で魅力的な音色だったりした。
で、自分もSX-150を使って、アナログシンセ演奏の典型的なパターンの一つとして、ロッカーズスタイル・レゲエをベースにしたダブを作ってみた。こういう思わせぶりなんだけれど、でも実は何も考えてない演奏というのが、まさに70年代っぽいような…。ま、実は単なる年寄りのノスタルジーなんだけどね(笑)。
・SX-150でダブに挑戦してみた【SX-150 + GarageBand】